PBLの肝はマインド思考×システム思考(02)東工大の数学の問題はすてきな探究への誘い。
★この問題は二次不等式、つまり結局は二次方程式でよいのだが、に関する知識は必要だが、あとは中学数学、つまり幾何の発想で解ける標準的な問題だ。
★この問題は、解法パターンを暗記して解くとか、やろうと思えばそうなのだろうが、する必要はない。
★創造的思考力があって、それを後付的に論理的に考えていけばよいのだ。この創造力思考も、論理的思考も、実生活に必要な思考様式だ。
★ありがたがっている論理的思考は、後付けで、その前に知識同士の先入観をぶち壊す意外な置換をする創造的思考が働いている。そこをたいていの場合見落としている。解説には、その着想部分は明記されていないから。そして、この明記されていない創造的思考様式に気づくことがメタ認知だろう。
★だいたい、実社会に役に立たないから教科学習は無駄だなんて現象的なことを言っている人が21世紀型教育とか進歩主義的教育を本当に語ることができるのだろうか。問題というのは、対話の時の相手の考え方の提示でもある。
★その提示を、ちゃんと耳を傾けもしないで、頭ごなしで否定するのは、20世紀型の抑圧的コミュニケーションに他ならないだろう。
★社会の激変や変動を語っている割に、この数学の問題が、変動以前の牧歌的な実生活に役立たたないとかいって否定されても困ってしまう。
★この東工大の問題は、まさにメタ認知を養う探究の扉を拓く典型的な問題だ。どのへんがそうなのか?それは自分で考えればよい。
★メタ認知がなぜ必要なのかというと、未来の実社会がそれを活用せざる得ないからだろう。なぜ活用しなければならないのか?探究プログラムを学ぶためにメタ認知が必要なわけではなかろう。
★量子コンピューターの覇権を隣の国が握るところまできている。月の裏側までロケットを飛ばすことができ、実際には米国のシリコンバレーの技術を超えてしまっている。シリコンバレーは、今や結局金融市場の覇者になるために動いてしまっているから、現状の市場に関係のない技術に投資はしない。
★一方で、隣国は、良いか悪いかは別にして、国家的政策として、そういうところに助成金を大量にぶちこみ、技術的進化を果たしている。そのリスクがいかに大きいものか、目の前の日本の経済をなんとかしようという教育改革を論議しているうちは、その大きなリスクを見ることができないだろう。
★再帰的近代化は、着々と進行している。それを逆手にとって、着々と覇権を狙っている国々が出てきている。
★とても、最高善なんかこのままでは全うできない。
★だからこそ、何とかしなくてはならない。それには世界リスクを見抜き、解決策、それはICTのプログラミングによって対抗しなくてはならないが、創造的思考がそこでは必要だ。メタ認知が必要だ。
★上記の東工大の問題は、ニュートンのプリンキピアの発想を彷彿とさせる。ニュートンのプリンキピアが当時の実社会に役立つと思った人々はどれくらいいたのだろうか。
★しかし、この発想がなければ、ロケットは月面に着陸できない。はやぶさがりゅうぐうに着くことはできない。
★教科学習や探究は学びの場に過ぎない。きっかけに過ぎない。生徒1人ひとりの本当の探究は生涯続くのだ。
★本当は教科学習だけで充分だった。しかもその教科も好きな科目を3教科ぐらい選択してじっくり深く学ぶ時間を設ければそれでよかったのだ。深く深く学ぶと、本当のリベラルアーツの深層にいきつく。ここにたどりつかなければ、教科横断なんてできないのだ。
★それを学ぶプログラムをデザインできなかったから、探究という別の場をあたかも接ぎ木のように加えた。だから教科学習と探究を結びつけよと。どうやって?教科で深層にたどりつかない。じゃあ探究でつくとでもいうのか?教科学習でリベラルアーツができないなんて言っているうちは、どんなに探究をデザインしても、表層しか食い込めないだろう。
★現象が大事だとか実生活が大事だはよい。しかし、それを支えているバックボーンとしてのネットワークへの追究がなければ、それは実生活なんてものではない。実社会なんてものではない。虚像の実社会である。
★氷山モデルの使い方もほとんど人が間違っている。ピーター・センゲですら罠にはまっている。氷山の中で閉じられた発想を喧伝してしまっているからだ。氷山は氷山単体では、氷山にならないのである。氷山の見えない部分を形成しているネットワークを見なければならない。
★探究を商売の道具にしたり、党派性の道具にしたりするのは、子供にとって幸せだろうか?私たちは、いい加減目を覚ます必要がある。
★社会の激変や変動を語っている割に、この数学の問題が、変動以前の牧歌的な実生活に役立たたないとかいって否定されても困ってしまう。
★この東工大の問題は、まさにメタ認知を養う探究の扉を拓く典型的な問題だ。どのへんがそうなのか?それは自分で考えればよい。
★メタ認知がなぜ必要なのかというと、未来の実社会がそれを活用せざる得ないからだろう。なぜ活用しなければならないのか?探究プログラムを学ぶためにメタ認知が必要なわけではなかろう。
★量子コンピューターの覇権を隣の国が握るところまできている。月の裏側までロケットを飛ばすことができ、実際には米国のシリコンバレーの技術を超えてしまっている。シリコンバレーは、今や結局金融市場の覇者になるために動いてしまっているから、現状の市場に関係のない技術に投資はしない。
★一方で、隣国は、良いか悪いかは別にして、国家的政策として、そういうところに助成金を大量にぶちこみ、技術的進化を果たしている。そのリスクがいかに大きいものか、目の前の日本の経済をなんとかしようという教育改革を論議しているうちは、その大きなリスクを見ることができないだろう。
★再帰的近代化は、着々と進行している。それを逆手にとって、着々と覇権を狙っている国々が出てきている。
★とても、最高善なんかこのままでは全うできない。
★だからこそ、何とかしなくてはならない。それには世界リスクを見抜き、解決策、それはICTのプログラミングによって対抗しなくてはならないが、創造的思考がそこでは必要だ。メタ認知が必要だ。
★上記の東工大の問題は、ニュートンのプリンキピアの発想を彷彿とさせる。ニュートンのプリンキピアが当時の実社会に役立つと思った人々はどれくらいいたのだろうか。
★しかし、この発想がなければ、ロケットは月面に着陸できない。はやぶさがりゅうぐうに着くことはできない。
★教科学習や探究は学びの場に過ぎない。きっかけに過ぎない。生徒1人ひとりの本当の探究は生涯続くのだ。
★本当は教科学習だけで充分だった。しかもその教科も好きな科目を3教科ぐらい選択してじっくり深く学ぶ時間を設ければそれでよかったのだ。深く深く学ぶと、本当のリベラルアーツの深層にいきつく。ここにたどりつかなければ、教科横断なんてできないのだ。
★それを学ぶプログラムをデザインできなかったから、探究という別の場をあたかも接ぎ木のように加えた。だから教科学習と探究を結びつけよと。どうやって?教科で深層にたどりつかない。じゃあ探究でつくとでもいうのか?教科学習でリベラルアーツができないなんて言っているうちは、どんなに探究をデザインしても、表層しか食い込めないだろう。
★現象が大事だとか実生活が大事だはよい。しかし、それを支えているバックボーンとしてのネットワークへの追究がなければ、それは実生活なんてものではない。実社会なんてものではない。虚像の実社会である。
★氷山モデルの使い方もほとんど人が間違っている。ピーター・センゲですら罠にはまっている。氷山の中で閉じられた発想を喧伝してしまっているからだ。氷山は氷山単体では、氷山にならないのである。氷山の見えない部分を形成しているネットワークを見なければならない。
★探究を商売の道具にしたり、党派性の道具にしたりするのは、子供にとって幸せだろうか?私たちは、いい加減目を覚ます必要がある。
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