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2019年2月24日 (日)

静岡聖光学院の変容ぶりの凄まじさ。(了)

★静岡聖光学院は、この1年間で、怒涛の国際交流ネットワークづくりをした。イギリスのイートンカレッジ、ハロー校、マレーシアのマレー校からはじまって、インド、インドネシア、シンガポール、ニュージーランド、シリコンバレーへと拡大した。

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★この国際交流ネットワークは、しかしたんなる語学研修とか中長期留学というものではない。サイエンスの国際会議だったり、SGDs関連の国際フォーラムだったり、AIやロボットの国際STEAMコンテストだったりといわゆる学究的な交流である。未来の知のリーダーたちのグローバルな規模の交流である。

★また、ラグビーの花園での試合だけではなく、同校主催のイートンカレッジなどとの国際試合の開催も、未来のグローバル人材どうしの交流でもある。

★この国際的な知の交流は、その原点をたどっていけば、建学当初から実施しているアカデミックな学びであり、それはリベラルアーツという表現に置き換えても問題ないであろう。そして、そのリベラルアーツの現代化の拠点はMITメディアラボであるから、静岡聖光学院の国際交流部の先生方は、やがてはそこにたどりつかざるを得ないということになるだろう。

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★このような国際交流を、同校は海外に渡って実施するだけではなく、国内でも行うわけだ。はやくも今年の9月あたりで、国際サミットを同校で開催するプランが着々と進んでいると聞き及ぶ。

★このような国際交流の意義は、同校の教師も生徒も海外のエスタブリッシュな未来の人材と交流するから、彼らのキャリアデザインに関するものの見方が変わりその視野も拡大するという点にある。また、海外と日本の大学の機能や役割の違いの最新情報を共有できるというというところにある。


★このようなキャリデザインに対する変容によって、静岡聖光学院が思考コードのC3領域の思考力の育成にチャンレジンすることの意味がさらに明快に意識されることになるだろう。C3こそリベラルアーツの礎なのであるから。


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★今多くの学者や見識者が本や雑誌に書いている海外の教育事情や大学事情は、すべて古くいなる瞬間が実は2020年なのである。日本だけでなく、世界同時的に教育や大学入試改革が行われるからだ。改革というよりアップデートと言った方が適切かもしれない。

★その情報を学者や見識者が収集して文字に起こした時には、またまた変わっているという急激な変容やアップデートが今後起こることがすでに予想されている。

★それはブレアークリントン時代に、1に教育、2に教育、そして3つめも教育であると教育と経済を結び付け、21世紀の政治経済社会を知を中心とする社会に開いてしまったために、教育もめまぐるしく変容し続けることになったからだ。

★2020年は、「高大接続教育改革」であるという言葉が数年前まで使われていて、あっという間にこの言葉は使われなくなった日本であるが、世界ではこのテーマは20世紀末からずっと重要な事柄である。

★それはリベラルアーツの高校へのシフトととらえてもよい。APとかIBとかAレベルとか言う話はまさにそこがメインである。高校の教育にいかに今までの大学1年2年のレベルを移行するか、つまり、これは高大接続をいかに密にし、できるだけ大学院での研究に早めに進めることができるかという試みなのである。

★日本はまだ基礎学力がないと社会に出て役に立たないとされる風潮から脱し切れていないが、欧米、東南アジアは、大学院で研究して、基礎研究の素養を身につけなければサバイブできないし、未来社会を創出できる人材が育たないという発想がある。

★もちろん、これはすべての子供たちに機会はあるが、実際にその道を歩める生徒はエスタブリッシュな環境にいる生徒だけだろう。知の格差社会が当面訪れる。日本の学歴社会をふっとばすグローバルな学歴階層構造が拡大してしまう。

★もちろん、この中で育つ本物のエリートが、2050年ころには、限界費用ゼロ社会、グローバルゴールズの完璧な達成(2030年のゴールよりも高い目標)を果たした時に、その格差はなくなるかもしれないし、間に合わずにもっと広がってしまうかもしれない。

★要するに、リスク世界の変容が激しい時代に直面している。順調に国内の学歴競争において勝ち組になったとしても、このリスクに気づくことは難しい。

★しかし、静岡聖光学院の生徒は、リアリスティックにリスク世界の変容する姿を見聞し、気づきを得る。それは教育事情や大学事情でも同じことだ。

★それゆえ、使命感も半端ない。基礎研究視点を身につけることが、直接そのリスクの問題を解決できるSTEAM的な知や技術を実装できるという確信を抱ける。このSTEAM的な知や技術とリスク世界をマネジメントするマインドが、リベラルアーツの現代化である。

★今や海外の大学は、直接日本にやってきてリクルート活動を活発化している。IB、AP、Aレベルはもはや一つの目安に過ぎなくなってきている。それゆえ、それらも改革を急いでいるのだが、そのような制度的アップデートは、日本の行政よりも早いとはいえ、リスク世界の変容スピードに追い付けない。

★だから、海外の大学は、高校ですでにリベルアーツ級の学びを実施しているという情報をゲットすれば、ダイレクトにその高校にアプローチしてくるようになる。そんなまさか?と思うだろうか?イギリスの大学には、海外留学生は1年間ファウンデーションという大学進学準備期間がすでにある。

★その機能は、まさにそこでリベラルアーツのトレーニングをするということなのだ。米国のAPは、高校時代にそれを実施してしまおうということなのだ。

★米国の名門リベラルアーツカレッジも、この変化の影響をダイレクトに受けている。サバイブするためにアップデートを余儀なくされている。知と経済を結び付けるダイナミクスがなければ、どんな権威も吹き飛んでしまうのがリスク世界だ。それは、ケンブリッジでも、スタンフォードでも、ハーバードでも、MITでも同じだ。

★だから、そこにダイレクトに結ぶつく国際交流の体験を積んでいく静岡聖光学院の生徒は、その知と経済の力学を身をもって学ぶことになる。起業家養成プログムのようなキャリアデザインがトレンドであるが、トレンドがゆえにリベラルアーツや学際的な知の養成の仕掛けがないもののほうが多い。

★だから、日本国内で起業家精神養成プログラムを行うのではなく、シリコンバレーやMITで行うというのであろう。

★リベラルアーツのあるキャリアデザインを実施する学校かリベラルアーツなきキャリアデザインを実施する学校か。どちらも見た目は進歩主義的教育校であるが、変容か変化かの大きな隔たりがある。

★静岡聖光学院の変容ぶりの凄まじさの理由について想像の翼を広げるとどんなにワクワクするか了解していただければ幸いである。

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