New Powerの学校×教師(24) 落合陽一氏のような創造的才能者を受け入れる私立中学はどこか?
★高校から開成、高校入試準備の時にはSAPIXに通っていたらしいが、きっちり戦略的な詰めをしてくれていただろうし、落合氏自身が戦略をたてていただろう。中学受験の時、あの学校を受ける生徒の中に、天才的なというか破格の頭脳の持ち主がいる。それを塾側も大いにリスペクトし、模擬試験でも破格の成績をとるから、まさかと思う結果になる生徒はときどきいる。
★しかし、その学校は、意外とバランスよく得点すれば入るし、偏差値60くらいでも、やり方によっては入る場合がある。知識問題も出題され、偏差値60あればできないような難問奇問は知識問題としては出題しない。だから、そこをおとさずに、あとは国語や社会の記述で空欄をあけないとか、算数の規則性の問題などで、とにかく数えてやってみるとかすれば、あとは得意な分野できっちりとれば、ぎりぎりはいる。
★ただし、書くことに抵抗がないとかなりきつい。偏差値60行かなくても、書く力(腕力といったほうがよいかもしれない)があって、知識問題で点をとれない生徒は、学び方をいっしょに走りながら体得していけばなんとかなる受験生を、その当時たくさんみてきたが、いまもそんなに状況は変わらないだろう。
★落合氏は、理科や算数が得意だったと聞くが、国語や社会もあの学校のような問題は得意だっただろう。だが、もしかしたら、実に頭をつかう面白い問題にこだわり、得点できるはずの問題を時間内に解かずに取り残した可能性がある。
★何せ、40問出て40点。知識問題も書く問題も理科は、1点だ。落合少年が好む問題は本来1万点あげてもよい素敵な問題だったろうに。
★それは、大江健三郎が、東大を落ちたときに、世界史のすばらしい問題に没頭し、時間内に他の問題を解くことができなかったのと同じ構造だっただろう。
★私が、思考力入試をいっしょに広めている学校は、落合少年のような生徒(落合氏に比べれば偏差値は低いかもしれないけれど、違う分野で落合少年とおなじくらい才能のある子は世の中にたくさんいる)を受け入れる態勢を整えている。
★この「思考力入試」は、新タイプ入試の中でも、かなりハイクオリティで、ステレオタイプな大人たちには理解ができない。それは落合氏を今も揶揄する大人たちと同じだ。
★適性検査型入試や自己表現入試も、創造的才能者にとって大切な新タイプ入試だけれど、まだ未来型入試全開というわけではない。もちろん、大学入試改革、教育改革のテコではある。しかし、いま日本がかかえている問題を、それは日本だけではなく世界の問題でもあるが、それを解決する人材がたくさん生まれる改革に間に合うかどうかとなると、もう少し全開へ加速して欲しい。
★落合陽一氏の日本進化論は、氏が新しいことを表明しているわけではなく、ネット上で収集できるデータを使いながら、多様な領域で未来を語る。それぞれの領域は専門的な知見が必要だから、専門家でもない落合氏に語らせてと揶揄されもするが、インタフェース思考という発想で語っているわけである。この本の生まれた根っこでもあるが、専門家とは夏季学校で学んで、落合氏自身がリスペクトしながら、論文、読書、耳学問をしてまとめている。
★落合氏が誕生したころ、私はまだ今でいうプー太郎だった。現代思想やポストモダニズムの嵐の中にいた。共同幻想論がキヨスクで文庫本で売られる時代で、思想のポップ化、インタフェース化の波が渦巻いていた。ある意味、1989年までは、思想の疾風怒濤の時期で、どうやって、そこを乗り越えるか考え続けていた。廣松渉シューレの教授陣とウマがあったけれど、何か違うなとそこをどうやって抜けるかが自分の課題だった。システム論者や法実証主義者とも何かが違った。。。
★しばらく、ハーバーマスに凝っていた。娘も生まれたので、ある塾に勤務しながら、かれのコミュニケーション行為論をベースにカリキュラムを考えたり、ホストコンピュータを使って、学びのデータサイエンスやデータマイニングを同僚と行って、入試問題の解析を行ったりしていた。それは、ブルームのタキソノミー分析の追体験だったのだと思う。
★落合少年が中学受験生だったころ、山一證券や拓銀が倒産して、私立学校の危機が訪れた。そのとき、私の興味は日本の教育改革を文科省によってではなく、相対的に自由度の高い私立学校に期待してみようと考えた。のちに≪私学の系譜≫を思いついた原点かもしれない。
★1994年UCLA卒業の青年(今でも盟友で、いつも彼から学んでいる)と会って、米国に連れていかれたり、ITの未来を毎日彼が熱く語るのに耳を傾け、今多くの学校でやっているICTを活用したPBLのプログラムをHondaと連携するプロトタイプを作ったりしていた。
★今思えば、そこに瞬時にリフレクションできるルーブリックをICTによって取り入れたところは、今でもまだなかなか多くの学校ではできたいないだろう。やろうと思えば、グーグルクラスルームなどですぐにできる今日であるが。
★とにも、当時は、スタンフォードのフェッタマーン教授のエンパワーメントエバリューエーションのシステムを参考にしていた。学びの中にデータエドテックを入れようとした。そのUCLA卒業の青年は、現在は、ある学校のカリキュラムマネージメントリーダーで、データエドテックを活用して、生徒の心理学的安心安全と認知多様性の状況を把握し、教務主任と対話を続け、学内に良好な学びの循環作りを行っている。
★そのデータエドテックは、OECD/PISAや全国学力テストの今でいう思考コード分析を毎年のように続けた時期があったから、実行できるし、理解もできる。
★その盟友をめぐるネットワークに、今では、さらに若い教師がいる。私はまたも彼らから学んでいるわけだが、21世紀型教師と呼んでいる。チームG2Cにいるメンバーもその教師と重なる発想者だ。
★彼らは、今与えられた仕事をこなしているだけではない。落合陽一氏のように大きく動いているわけではないが、同構造の感性や知性を持って、教育をそして未来を創っている。
★落合陽一氏は、上記写真の新刊本で、次のように語っている。
AI時代の生き方や働き方について問われることの多い僕ですが、最近は、「世を捨てよ、クマを狩ろう」と話すことにしています。皆さんは、「マタギ」をご存じでしょうか。マタギは、主に東北地方の山間部に居住していた、クマやシカなど大型動物を集団で狩って生活する人たちのことです。僕は彼らのような生き方こそ、ポスト平成時代のロールモデルになりうると考えています。
一人ひとりが限界費用ゼロ的世界になったことによって新たな解決可能になった課題を見つけ、各々のゴールへと猛進するライフスタイルを送る。人々が“マタギ”のように課題狩りをし、AIをはじめとするテクノロジーが僕たちの“猟銃”になる社会。僕なりの言葉でいえば、これからの社会は「マタギドライブ」的な世界観になっていくでしょう。
★寺山修司のノリもあるし、ポストモダニズム思想でいう「ノマド」とも重なる。限界費用ゼロという発想は、アーティストでもある社会思想家であるウィリアム・モリスの発想ともつながる。落合陽一氏は、歴史的ものの見方をもっているので、ここで語られている話は、その歴史的背景がものすごく広がっている。
★マックス・ヴェーバーが、問題にしたのも生産手段。しかし、当時は、落合氏の言うマタギ的猟銃としてのテクノロジーをイメージできなかったかもしれない。していたかもしれないが、カント的な客観主義だったから、表現しなかっただけかもしれないが。
★デストピアとユートピアを行ったり来たりすることになるが、エドワード・ベラミーやモリスのようなSFファンタジーにつながっていく発想は、すでにダ・ビンチのころからあった。
★いやギリシア時代にすでにあった。ただし、奴隷制度を括弧に入れての話であるが。
★いずれにしても落合陽一氏の発想は、数学的思考とサイエンス的発想とアート思考に共通するミメーシスとかメタファーとか、置き換え操作の巧みさである。結局置き換えスキルが、すべての思考スキルを飲み込んでしまうのだが、このことに気づく人は少ない。
★メタファーなどは、わかりやすさを求める一方で、驚愕ももたらす発想。それをくだらないとプラトン流儀で一蹴する大人であるか、それこそ重要なのだと語るアリストテレス的発想人なのか。昔から分かれている。
★MITメディアラボのレズニック教授が、ロングライフキンダーガーデンといったとき、もちろん子供のように生き続けることを言っているわけだが、これは、「子供」が、「狂人」「未開人」と並ぶ20世紀の最大の発見という歴史観に裏付けられている話である。
★このマタギのように子供のように生きること。マタギは、宮崎駿の失われたモノの回復という発想でもあるし、子供は、新しく生まれた人間像としての発想でもある。どうやらその二つの発想を置き換えながら語っているのが、落合陽一氏のようだ。
★2050年。さすがに私は生きていないだろう。そのとき落合陽一氏は私と同じくらいの歳になっている。どんな社会にしているのだろうか。マタギのようなライフスタイルあるいは子供のような創造的才能者で満ちている社会だろうか。
★そうなっていて欲しい。それには、21世紀型教師のいる学校のように、多くの学校が、落合少年のような創造的才能者を受け入れ、羽ばたける環境を作る必要があるだろう。
★21世紀型教師とその生徒と落合陽一氏の「日本進化論」の読書会をしてみたり、その発想をグローバル教育×STEAM教育のプログラムにしてみようかな。来週ちょっと打ち合わせしよう。
★落合氏は、理科や算数が得意だったと聞くが、国語や社会もあの学校のような問題は得意だっただろう。だが、もしかしたら、実に頭をつかう面白い問題にこだわり、得点できるはずの問題を時間内に解かずに取り残した可能性がある。
★何せ、40問出て40点。知識問題も書く問題も理科は、1点だ。落合少年が好む問題は本来1万点あげてもよい素敵な問題だったろうに。
★それは、大江健三郎が、東大を落ちたときに、世界史のすばらしい問題に没頭し、時間内に他の問題を解くことができなかったのと同じ構造だっただろう。
★私が、思考力入試をいっしょに広めている学校は、落合少年のような生徒(落合氏に比べれば偏差値は低いかもしれないけれど、違う分野で落合少年とおなじくらい才能のある子は世の中にたくさんいる)を受け入れる態勢を整えている。
★この「思考力入試」は、新タイプ入試の中でも、かなりハイクオリティで、ステレオタイプな大人たちには理解ができない。それは落合氏を今も揶揄する大人たちと同じだ。
★適性検査型入試や自己表現入試も、創造的才能者にとって大切な新タイプ入試だけれど、まだ未来型入試全開というわけではない。もちろん、大学入試改革、教育改革のテコではある。しかし、いま日本がかかえている問題を、それは日本だけではなく世界の問題でもあるが、それを解決する人材がたくさん生まれる改革に間に合うかどうかとなると、もう少し全開へ加速して欲しい。
★落合陽一氏の日本進化論は、氏が新しいことを表明しているわけではなく、ネット上で収集できるデータを使いながら、多様な領域で未来を語る。それぞれの領域は専門的な知見が必要だから、専門家でもない落合氏に語らせてと揶揄されもするが、インタフェース思考という発想で語っているわけである。この本の生まれた根っこでもあるが、専門家とは夏季学校で学んで、落合氏自身がリスペクトしながら、論文、読書、耳学問をしてまとめている。
★落合氏が誕生したころ、私はまだ今でいうプー太郎だった。現代思想やポストモダニズムの嵐の中にいた。共同幻想論がキヨスクで文庫本で売られる時代で、思想のポップ化、インタフェース化の波が渦巻いていた。ある意味、1989年までは、思想の疾風怒濤の時期で、どうやって、そこを乗り越えるか考え続けていた。廣松渉シューレの教授陣とウマがあったけれど、何か違うなとそこをどうやって抜けるかが自分の課題だった。システム論者や法実証主義者とも何かが違った。。。
★しばらく、ハーバーマスに凝っていた。娘も生まれたので、ある塾に勤務しながら、かれのコミュニケーション行為論をベースにカリキュラムを考えたり、ホストコンピュータを使って、学びのデータサイエンスやデータマイニングを同僚と行って、入試問題の解析を行ったりしていた。それは、ブルームのタキソノミー分析の追体験だったのだと思う。
★落合少年が中学受験生だったころ、山一證券や拓銀が倒産して、私立学校の危機が訪れた。そのとき、私の興味は日本の教育改革を文科省によってではなく、相対的に自由度の高い私立学校に期待してみようと考えた。のちに≪私学の系譜≫を思いついた原点かもしれない。
★1994年UCLA卒業の青年(今でも盟友で、いつも彼から学んでいる)と会って、米国に連れていかれたり、ITの未来を毎日彼が熱く語るのに耳を傾け、今多くの学校でやっているICTを活用したPBLのプログラムをHondaと連携するプロトタイプを作ったりしていた。
★今思えば、そこに瞬時にリフレクションできるルーブリックをICTによって取り入れたところは、今でもまだなかなか多くの学校ではできたいないだろう。やろうと思えば、グーグルクラスルームなどですぐにできる今日であるが。
★とにも、当時は、スタンフォードのフェッタマーン教授のエンパワーメントエバリューエーションのシステムを参考にしていた。学びの中にデータエドテックを入れようとした。そのUCLA卒業の青年は、現在は、ある学校のカリキュラムマネージメントリーダーで、データエドテックを活用して、生徒の心理学的安心安全と認知多様性の状況を把握し、教務主任と対話を続け、学内に良好な学びの循環作りを行っている。
★そのデータエドテックは、OECD/PISAや全国学力テストの今でいう思考コード分析を毎年のように続けた時期があったから、実行できるし、理解もできる。
★その盟友をめぐるネットワークに、今では、さらに若い教師がいる。私はまたも彼らから学んでいるわけだが、21世紀型教師と呼んでいる。チームG2Cにいるメンバーもその教師と重なる発想者だ。
★彼らは、今与えられた仕事をこなしているだけではない。落合陽一氏のように大きく動いているわけではないが、同構造の感性や知性を持って、教育をそして未来を創っている。
★落合陽一氏は、上記写真の新刊本で、次のように語っている。
AI時代の生き方や働き方について問われることの多い僕ですが、最近は、「世を捨てよ、クマを狩ろう」と話すことにしています。皆さんは、「マタギ」をご存じでしょうか。マタギは、主に東北地方の山間部に居住していた、クマやシカなど大型動物を集団で狩って生活する人たちのことです。僕は彼らのような生き方こそ、ポスト平成時代のロールモデルになりうると考えています。
一人ひとりが限界費用ゼロ的世界になったことによって新たな解決可能になった課題を見つけ、各々のゴールへと猛進するライフスタイルを送る。人々が“マタギ”のように課題狩りをし、AIをはじめとするテクノロジーが僕たちの“猟銃”になる社会。僕なりの言葉でいえば、これからの社会は「マタギドライブ」的な世界観になっていくでしょう。
★寺山修司のノリもあるし、ポストモダニズム思想でいう「ノマド」とも重なる。限界費用ゼロという発想は、アーティストでもある社会思想家であるウィリアム・モリスの発想ともつながる。落合陽一氏は、歴史的ものの見方をもっているので、ここで語られている話は、その歴史的背景がものすごく広がっている。
★マックス・ヴェーバーが、問題にしたのも生産手段。しかし、当時は、落合氏の言うマタギ的猟銃としてのテクノロジーをイメージできなかったかもしれない。していたかもしれないが、カント的な客観主義だったから、表現しなかっただけかもしれないが。
★デストピアとユートピアを行ったり来たりすることになるが、エドワード・ベラミーやモリスのようなSFファンタジーにつながっていく発想は、すでにダ・ビンチのころからあった。
★いやギリシア時代にすでにあった。ただし、奴隷制度を括弧に入れての話であるが。
★いずれにしても落合陽一氏の発想は、数学的思考とサイエンス的発想とアート思考に共通するミメーシスとかメタファーとか、置き換え操作の巧みさである。結局置き換えスキルが、すべての思考スキルを飲み込んでしまうのだが、このことに気づく人は少ない。
★メタファーなどは、わかりやすさを求める一方で、驚愕ももたらす発想。それをくだらないとプラトン流儀で一蹴する大人であるか、それこそ重要なのだと語るアリストテレス的発想人なのか。昔から分かれている。
★MITメディアラボのレズニック教授が、ロングライフキンダーガーデンといったとき、もちろん子供のように生き続けることを言っているわけだが、これは、「子供」が、「狂人」「未開人」と並ぶ20世紀の最大の発見という歴史観に裏付けられている話である。
★このマタギのように子供のように生きること。マタギは、宮崎駿の失われたモノの回復という発想でもあるし、子供は、新しく生まれた人間像としての発想でもある。どうやらその二つの発想を置き換えながら語っているのが、落合陽一氏のようだ。
★2050年。さすがに私は生きていないだろう。そのとき落合陽一氏は私と同じくらいの歳になっている。どんな社会にしているのだろうか。マタギのようなライフスタイルあるいは子供のような創造的才能者で満ちている社会だろうか。
★そうなっていて欲しい。それには、21世紀型教師のいる学校のように、多くの学校が、落合少年のような創造的才能者を受け入れ、羽ばたける環境を作る必要があるだろう。
★21世紀型教師とその生徒と落合陽一氏の「日本進化論」の読書会をしてみたり、その発想をグローバル教育×STEAM教育のプログラムにしてみようかな。来週ちょっと打ち合わせしよう。
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