キャリアガイダンスVol.425の意味 探究で育む資質・能力とその評価?ヤヌス!
★もし、すべての学校で「探究」モードになるとしたら、それを願っているとしたら、事例を挙げるだけでなく、もう一歩踏み出してもよい。
★いやあそれは、事例や先生方の対談を読んで、読み手がいろいろ気づいてくれることがねらいですからということになるのだろうが、それではすべての学校は探究モードにはなかなかならないだろう。
★だからこそ、すべての学校で探究モードへと言っても、美しきビジョンで現実はそうならないから大丈夫ということなのであろうが。
★というか、この冊子はいつも思うがパラドキシカルである。本編を読めば、概ね学校化・社会化を押し進める内容である。自分のキャリアデザインを見定めながら探究するという学校にいる間だけの話に当然ながら集中しているのだが、キャリアを考える時、今の高1が2040年になったときに37歳であることをどうやって想定するのかが抜けている。
★探究活動は楽しい?そうだろうか。創造的授業は楽しい?そうだろうか。楽しくないと自己肯定感は高くならない?そうだろうか。
★楽しいの定義にもよるのだろうが、探究の道のりは苦しいのではないだろうか。だから、教師はいっしょに歩き走り休憩し、寄り沿いながら行くのではないか。それが楽しいとは、ちょっと気持ち悪いというか危険じゃないか。
★高1の生徒が37歳になったとき、待ち受ける社会はどうなっているのだろうか。今の学校化がそもそもあるのだろうか、社会化は存続しているのだろうか。
★18歳で選挙権をもつ生徒は、本当は何を考える必要があるのだろうか。問いを自ら作り出すことは難しいと言われている。問いの作り方を教師は研修などで学び、難しかったが、ああ楽しかったとよく感想を聞く。
★それでSDGsの領域で、問いをどう投げるか?だという。本当に世界の痛みを引き受けたら、教師でもなく生徒自身でもなく、その痛みが問いを突きさしてくるはずだ。自分事なんてキレイごとで済まないだろう。こんなことをやっていたら、この国は2040年にはなくなっているだろう。でもこの国がなくなって困るのは学校化された生徒だ。社会化された国民だ。
★困らないのは学校化する側だし、社会化する側だ。無駄な投資をしてくれればしてくれるほど、儲かるわけだ。膨大な時間の浪費。時間泥棒である灰色の男たちの思うツボじゃないか。
★しかし、本書の編集者の方々は、こんなふうにダイレクトに語らない。あまりにお下品であるからだろう。だから、そっとこれでよいんですかという意味を埋め込む編集をする。今回は「探究の仕掛けをドライブするツール&リソース」という真庭高校の中山順充先生の論考を掲載している。すばらしい!
★探究の仕掛けをドライブするのは教師だけではない。この思考ツールを手にした生徒もドライブできるようになる。つまり、問いを簡単に作ることができるようになる。このツールはずいぶん前から田村学先生が紹介している。というより、ギリシア時代からあったものだが、いやたぶん洞窟壁画時代からあったものだが、これほど体系化されてはこなかった。
★これによって限界教授費用ゼロ時代に突入する。学校の終わり。新しい学校の誕生の入口が開くことになる。
★つまり、すべての学校で「探究」モードへという編集長の本意は、「探究」は、今の学校を創造的に破壊するトロイの木馬ということなのである。
★入管法を改訂し、人口経済成長論の補強をしようとしている今の政権だが、それがなかなかうまくいかないのは目に見えている。あっという間に2040年はくる。内生的経済成長をやるしかない。
★内生的?簡単に言えば、機械技術イノベーションではなく、人材育成技術のイノベーションだ。「探究」はその育成技術なのだが、能力・資質という間接的な人材育成方法では、イノベーターの生まれる確率が従来に比べて少し高くなるだけで、これではN理論にかなわない。E=np(E=内生的経済成長度、n=人数、p=イノベーション確率)で、確率pがそれほど高くないのに、そこに投資するのは普通じゃあない。nという生徒数がかつてのように多ければ別だが。
★楽しいの定義にもよるのだろうが、探究の道のりは苦しいのではないだろうか。だから、教師はいっしょに歩き走り休憩し、寄り沿いながら行くのではないか。それが楽しいとは、ちょっと気持ち悪いというか危険じゃないか。
★高1の生徒が37歳になったとき、待ち受ける社会はどうなっているのだろうか。今の学校化がそもそもあるのだろうか、社会化は存続しているのだろうか。
★18歳で選挙権をもつ生徒は、本当は何を考える必要があるのだろうか。問いを自ら作り出すことは難しいと言われている。問いの作り方を教師は研修などで学び、難しかったが、ああ楽しかったとよく感想を聞く。
★それでSDGsの領域で、問いをどう投げるか?だという。本当に世界の痛みを引き受けたら、教師でもなく生徒自身でもなく、その痛みが問いを突きさしてくるはずだ。自分事なんてキレイごとで済まないだろう。こんなことをやっていたら、この国は2040年にはなくなっているだろう。でもこの国がなくなって困るのは学校化された生徒だ。社会化された国民だ。
★困らないのは学校化する側だし、社会化する側だ。無駄な投資をしてくれればしてくれるほど、儲かるわけだ。膨大な時間の浪費。時間泥棒である灰色の男たちの思うツボじゃないか。
★しかし、本書の編集者の方々は、こんなふうにダイレクトに語らない。あまりにお下品であるからだろう。だから、そっとこれでよいんですかという意味を埋め込む編集をする。今回は「探究の仕掛けをドライブするツール&リソース」という真庭高校の中山順充先生の論考を掲載している。すばらしい!
★探究の仕掛けをドライブするのは教師だけではない。この思考ツールを手にした生徒もドライブできるようになる。つまり、問いを簡単に作ることができるようになる。このツールはずいぶん前から田村学先生が紹介している。というより、ギリシア時代からあったものだが、いやたぶん洞窟壁画時代からあったものだが、これほど体系化されてはこなかった。
★これによって限界教授費用ゼロ時代に突入する。学校の終わり。新しい学校の誕生の入口が開くことになる。
★つまり、すべての学校で「探究」モードへという編集長の本意は、「探究」は、今の学校を創造的に破壊するトロイの木馬ということなのである。
★入管法を改訂し、人口経済成長論の補強をしようとしている今の政権だが、それがなかなかうまくいかないのは目に見えている。あっという間に2040年はくる。内生的経済成長をやるしかない。
★内生的?簡単に言えば、機械技術イノベーションではなく、人材育成技術のイノベーションだ。「探究」はその育成技術なのだが、能力・資質という間接的な人材育成方法では、イノベーターの生まれる確率が従来に比べて少し高くなるだけで、これではN理論にかなわない。E=np(E=内生的経済成長度、n=人数、p=イノベーション確率)で、確率pがそれほど高くないのに、そこに投資するのは普通じゃあない。nという生徒数がかつてのように多ければ別だが。
★確率がそれほど高くないことを、問いを自ら作り出すのが難しいという言説に置き換えているだけなのだ。
★しかし、本書の編集者の方々の背景は、あのリクルートである。教育をキレイごとで終わらせるはずがない。だから、「探究の仕掛けをドライブするツール&リソース」なのだ。このツールやリソースはいわば、知的生産手段だ。今までのような教授法、そして資質・能力なんて言っている間は、この知的生産手段は教師の手中にある。
★だから、生徒はいつもドラブされる側に追いやられてきたし。今もいるのだ。そのことを覆い隠すマスクとして資質・能力という思考停止用語を活用してきた。世界的にね。
★そうしないと、無駄なお金を投資してくれないし、莫大な拠出金をOECDに払ってくれないでしょうと。
★しかし、リクルートはこんな時代はとっくに終焉を迎えているのは百も承知なのだ。トランプ大統領は好きではないし、問題があり過ぎなのはわかるが、国際機関から次々脱退するのは、無駄な金は払わないというプロテスタンティズム的な経済観念が働いているからだ。
★ICTやSNSが広がった今、これからは、個人の力が社会を世界をドライブする。新たな闘争も生まれるわけだが、それにはしかし、知的生産手段やAI的生産手段、バイオ的生産手段を個々人が持てるようになる必要があるが、それにはまず人材育成技術のイノベーションなのだ。これによって彼らは時間泥棒から解放される。モモの時代がやってくる。
★育成するのではなく育つのを待つというのは、自分が変われないから美しき言葉で置き換える悪の論理というわけだ。
★ところが、この悪の論理は、逆手に取ると絶大。革命的なのだ。さすがリクルートである。
★しかし、本書の編集者の方々の背景は、あのリクルートである。教育をキレイごとで終わらせるはずがない。だから、「探究の仕掛けをドライブするツール&リソース」なのだ。このツールやリソースはいわば、知的生産手段だ。今までのような教授法、そして資質・能力なんて言っている間は、この知的生産手段は教師の手中にある。
★だから、生徒はいつもドラブされる側に追いやられてきたし。今もいるのだ。そのことを覆い隠すマスクとして資質・能力という思考停止用語を活用してきた。世界的にね。
★そうしないと、無駄なお金を投資してくれないし、莫大な拠出金をOECDに払ってくれないでしょうと。
★しかし、リクルートはこんな時代はとっくに終焉を迎えているのは百も承知なのだ。トランプ大統領は好きではないし、問題があり過ぎなのはわかるが、国際機関から次々脱退するのは、無駄な金は払わないというプロテスタンティズム的な経済観念が働いているからだ。
★ICTやSNSが広がった今、これからは、個人の力が社会を世界をドライブする。新たな闘争も生まれるわけだが、それにはしかし、知的生産手段やAI的生産手段、バイオ的生産手段を個々人が持てるようになる必要があるが、それにはまず人材育成技術のイノベーションなのだ。これによって彼らは時間泥棒から解放される。モモの時代がやってくる。
★育成するのではなく育つのを待つというのは、自分が変われないから美しき言葉で置き換える悪の論理というわけだ。
★ところが、この悪の論理は、逆手に取ると絶大。革命的なのだ。さすがリクルートである。
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