【思考論的転回01】AIは読書はできないか?
★Yahooニュース 12/27(木) 10:20配信 に、ベネッセ教育サイト「AI時代にこそヒトの読解力が重要!」が掲載されている。これを盟友福原将之氏(株式会社FlipSilverlining代表)ならどう読み取るだろうか?今度あったら聞いてみたい。
★論点をはっきりしたいので、その部分を引用する。

★論点をはっきりしたいので、その部分を引用する。

フォーラムを主催したのは、「リーディングスキルテスト(RST)」を実施する「教育のための科学研究所」。AI「東ロボくん」の東京大学合格を目指した国立情報学研究所のプロジェクトをきっかけに発足した一般社団法人です。
「東ロボくんの母」で、20万部を超えるベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』でも知られる新井紀子・同研究所教授が代表理事を務めています。東ロボくんプロジェクトでは、2016年のセンター模試で国公立を含む7割の大学に合格可能性80%以上という成績を上げたにもかかわらず、「東大受験」は断念しました。というのもAIには、文章の意味を理解することができません。膨大な辞典や教科書、入試の過去問、インターネット上の情報などから、キーワードを頼りに答えを探すしかないのですが、それでは記述式の東大入試には対応できない見通しが立ったからです。
プロジェクトを通して、深刻な問題が浮かび上がりました。AIには決してできない能力を持っているはずの子どもたちが、教科書の文章をきちんと読めず、AIと同じようにキーワードだけで問題を解こうとしていたことです。それではAIに仕事を奪われるのは当然です。そこで開発されたのが、RSTです。
★RSTを開発支援するのは、おそらくベネッセなのだろう。だからこのような記事がでてきたわけだ。「教育のための科学研究所」の理事にベネッセのメンバーが入っている。この方法は、この会社の常とう手段で、文科省から何から絡むときにも行っているのは、調べればすぐにわかるというか公開されている。合法的なのでそのこと自体は問題がない。ときどきニュースになってはいるが。
★問題なのは、なにゆえに教科書の理解力なのかがさっぱり要領を得ない。AIができないこと=人間ができることと仮定し、それを検証しないまま、AIができなくて、本来人間にできることなのに、人間ができないのは問題だ。よってRSTを受けて、読解力をつけよう!という風が吹けば桶屋が儲かる式の論理を流布している。
★しかも、なぜ教科書なのだろう。ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑教授が、教科書は疑えとエールを送っている意味で、教科書を理解せよというのなら、なるほどAIにはまだまだ遠い道のりかもしれない。
★しかし、教科書の文章の意味をちゃんと理解しなさいということのようだ。ほんとうにAIでできないのだろうか。ほんとうに人間にはできることなのだろうか。
★問題なのは、なにゆえに教科書の理解力なのかがさっぱり要領を得ない。AIができないこと=人間ができることと仮定し、それを検証しないまま、AIができなくて、本来人間にできることなのに、人間ができないのは問題だ。よってRSTを受けて、読解力をつけよう!という風が吹けば桶屋が儲かる式の論理を流布している。
★AIにできなくて、人間にも難しいということもあるはずだ。
★しかも、なぜ教科書なのだろう。ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑教授が、教科書は疑えとエールを送っている意味で、教科書を理解せよというのなら、なるほどAIにはまだまだ遠い道のりかもしれない。
★しかし、教科書の文章の意味をちゃんと理解しなさいということのようだ。ほんとうにAIでできないのだろうか。ほんとうに人間にはできることなのだろうか。
★実は、読解には、
①言葉の辞書的な意味
②言葉が指し示している対象(①の場合が多い)
③言葉と言葉の関係の規定
④言葉から発する感情や行動喚起
➄言葉が新しく指し示す意味
★最低でもこのくらいの理解の種類がある。この中で、①、②までは、AIでも理解できる。それから➄も③の関係規定性のうち、≪対照性≫≪因果性≫≪分類性≫を使って特定できるものは理解ができる。
★できないのは、③の関係規定のうち≪置換性≫という規定性が難しい。これはソシュールの言う意味の恣意性が含まれるからだ。桜の花びらが散るのをみて、美しさを感じる文化に置き換えるのは、その文化特有のものがあり、日本以外ではそういう感情で置き換えられない。いわば恣意性がある。
★そして、この恣意性こそ、アリストテレスの「詩学」でもっとも強調されるミメーシスである。模倣と訳されるが、要は≪置換性≫である。
★できないのは、③の関係規定のうち≪置換性≫という規定性が難しい。これはソシュールの言う意味の恣意性が含まれるからだ。桜の花びらが散るのをみて、美しさを感じる文化に置き換えるのは、その文化特有のものがあり、日本以外ではそういう感情で置き換えられない。いわば恣意性がある。
★そして、この恣意性こそ、アリストテレスの「詩学」でもっとも強調されるミメーシスである。模倣と訳されるが、要は≪置換性≫である。
★アリストテレスやニーチェは、この感性的な、あるいは恣意的な、ミメーシスなる表現こそ芸術であり、イデアや真理よりも、重要なものであると論じた。理性的なものより、感性的なものの有意性。
★数学的思考における≪置換操作≫は、AIにはできるから、そのレベルの文脈だったらAIも可能なはずだが、詩におけるミメーシスとなると、≪置き換え操作≫はあまりに多義的で特定するのは、詩人本人しかできない。
★感情についても、実は≪置換性≫が高く、難しいのは、やはり詩学の領域に属するからだろう。AIの場合、関係規定によって、その言葉がどの感情に結びつくか、絞っていくことはできるが、いきなり、≪置換性≫だと選択のしようがない。
★しかし、これが人間も同じだ。子供だけが不得意だろうか?人間の感情の読み間違いなんて、毎日刻刻頻発している。
★この新井先生というのは、そこらへんすべて百も承知で、このRSTのプランイングをしているところが賢すぎる。12月26日の東洋経済にもRSTについて記事が掲載されているが、そこでは、RSTの問いのカテゴライズが6つ紹介されている。
係り受け解析:文節どうしの関係性(主語と述語の関係、修飾語と被修飾語の関係)の理解
★数学的思考における≪置換操作≫は、AIにはできるから、そのレベルの文脈だったらAIも可能なはずだが、詩におけるミメーシスとなると、≪置き換え操作≫はあまりに多義的で特定するのは、詩人本人しかできない。
★感情についても、実は≪置換性≫が高く、難しいのは、やはり詩学の領域に属するからだろう。AIの場合、関係規定によって、その言葉がどの感情に結びつくか、絞っていくことはできるが、いきなり、≪置換性≫だと選択のしようがない。
★しかし、これが人間も同じだ。子供だけが不得意だろうか?人間の感情の読み間違いなんて、毎日刻刻頻発している。
★この新井先生というのは、そこらへんすべて百も承知で、このRSTのプランイングをしているところが賢すぎる。12月26日の東洋経済にもRSTについて記事が掲載されているが、そこでは、RSTの問いのカテゴライズが6つ紹介されている。
係り受け解析:文節どうしの関係性(主語と述語の関係、修飾語と被修飾語の関係)の理解
照応解決:指示代名詞が指すものや、省略された主語や目的語の理解
同義文判定:2文の意味が同一であるか
推論:文の構造を理解したうえで、常識等を動員して文の意味を理解する力
イメージ同定:文章と図形やグラフを比べて、内容が一致しているかどうかを認識する能力
具体例同定:定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力
★これらは、すべて、言葉と言葉の関係規定性のうちの≪置換性≫に関する問題ばかりなのである。
★経験的意味がわからなくても、≪対照性≫や≪因果性≫は、文脈から推理できる。しかし、≪置換性≫は最初に経験ありきなのである。
★その経験がデータとしてないと、置き換える手掛かりがない。ほかの関係規定性は、経験がなくても推理はできる。たぶんこうだろうと。
★つまり、この6つのカテゴリーの問いは、AIだけではなく、人間だって経験がない場合解けないのである。
★なぜ貨幣が交換経済で行き過ぎると弊害を生み出すのかというと、この人間の経験を無化してどんどん置換していくからである。
★新井先生は、まわりが誤解して貨幣経済の中で儲けようというルサンチマンを逆手にとって、≪置換性≫の技術は経験を復活することであるということであり、言語論的転回がもたらした20世型社会をひっくり返す、つまり、言語によって規定されるのではなく、経験の中からそのつど生まれる思考によって現実は生まれてくるのだという思考論的転回という21世紀型社会を生み出そうとしているかなり戦略的な構想力をもっているのではあるまいか。
★18世紀から19世紀は、カントの時代だった。認識におけるコペルニクス的転回。20世紀は、言語学の世紀であったが、結局認識を表す言語が現実を規定するという言語論的転回はカントの認識論の屋上屋に過ぎなかった。つまり、カントの時代はずっと続いたのである。
同義文判定:2文の意味が同一であるか
推論:文の構造を理解したうえで、常識等を動員して文の意味を理解する力
イメージ同定:文章と図形やグラフを比べて、内容が一致しているかどうかを認識する能力
具体例同定:定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力
★これらは、すべて、言葉と言葉の関係規定性のうちの≪置換性≫に関する問題ばかりなのである。
★経験的意味がわからなくても、≪対照性≫や≪因果性≫は、文脈から推理できる。しかし、≪置換性≫は最初に経験ありきなのである。
★その経験がデータとしてないと、置き換える手掛かりがない。ほかの関係規定性は、経験がなくても推理はできる。たぶんこうだろうと。
★つまり、この6つのカテゴリーの問いは、AIだけではなく、人間だって経験がない場合解けないのである。
★なぜ貨幣が交換経済で行き過ぎると弊害を生み出すのかというと、この人間の経験を無化してどんどん置換していくからである。
★新井先生は、まわりが誤解して貨幣経済の中で儲けようというルサンチマンを逆手にとって、≪置換性≫の技術は経験を復活することであるということであり、言語論的転回がもたらした20世型社会をひっくり返す、つまり、言語によって規定されるのではなく、経験の中からそのつど生まれる思考によって現実は生まれてくるのだという思考論的転回という21世紀型社会を生み出そうとしているかなり戦略的な構想力をもっているのではあるまいか。
★18世紀から19世紀は、カントの時代だった。認識におけるコペルニクス的転回。20世紀は、言語学の世紀であったが、結局認識を表す言語が現実を規定するという言語論的転回はカントの認識論の屋上屋に過ぎなかった。つまり、カントの時代はずっと続いたのである。
★21世紀は経験によって化学変化を起こした思考が、言語も新たに生み出し、現実も規定していくのである。かくして思考論的転回、非感性的なもの=理性と感性の転換が21世紀の要請であり、中学入試における思考力入試もこの時代の精神にのっとっているし、この時代の精神を規定しているといっても過言ではない。
★RSTが流行れば流行るほど、20世紀型精神から21世紀型精神が創出されるというパラドクスが生まれる。教科書の正確な理解とは、教科書に書いていないことをどれだけ創造できるのかというミメーシス的な思考力の必要性を欲求することを示唆している。
★まさに教科書を疑うことは、ノーベル賞に代表される創造的才能を生み出すことにつながる。そういう意味でのみ、教科書の有効性があるのであり、AIは教科書が理解できないのではなく、AIはできるようになるが、その先の創造性は、恣意性が故に、ミメーシスが故に、芸術が故に、AIにはできない領域なのである。
★しかし、福原氏は、この恣意性は確率論だから、AIでも確率論的にはやはり理解ができてしまうと語るに違いない。詩の領域もまたAIが学習してくるのである。さて、どうしたものか。2040年は、まだそこまでには達しないだろうが。
★RSTが流行れば流行るほど、20世紀型精神から21世紀型精神が創出されるというパラドクスが生まれる。教科書の正確な理解とは、教科書に書いていないことをどれだけ創造できるのかというミメーシス的な思考力の必要性を欲求することを示唆している。
★まさに教科書を疑うことは、ノーベル賞に代表される創造的才能を生み出すことにつながる。そういう意味でのみ、教科書の有効性があるのであり、AIは教科書が理解できないのではなく、AIはできるようになるが、その先の創造性は、恣意性が故に、ミメーシスが故に、芸術が故に、AIにはできない領域なのである。
★しかし、福原氏は、この恣意性は確率論だから、AIでも確率論的にはやはり理解ができてしまうと語るに違いない。詩の領域もまたAIが学習してくるのである。さて、どうしたものか。2040年は、まだそこまでには達しないだろうが。
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