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2018年11月10日 (土)

偏差値を巡る問題 偏差値は悪玉か?

★偏差値を巡る問題は、なかなか複雑だ。偏差値はとかく評判が悪い。偏差値悪玉論は言うは易いが、同時に足元もすくわれやすい。というのも、予測不能な時代は、このベルカーブという確率論的なデータが実に役に立つ。へたをすると、偏差値悪玉論は、未来の希望を汚すそれこそ悪玉になりかねない。

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おおたとしまさ氏は、それについて百も承知で、果敢に偏差値がもたらす危うさに警鐘を鳴らす。理不尽な基準に理不尽な状況においこまれる子供たちの精神的状況や才能開花を阻害する状況をなんとかしたいという想いは、おおた氏が論考を重ねる、幼児教育の問題、働き方の問題、家庭の問題、受験の問題などすべてに一貫して流れている響きである。

★私は、「受験と進学の新常識」という本の内容とも重なる「中学受験「バブル偏差値」にご用心! 大学合格実績と偏差値が乖離するワケ 中学受験偏差値表から考える」というおおた氏の論考を読んで、次のように感じた。

おおたとしまささんの警鐘。ただ、偏差値そのものは、学校の価値そのものではなく、その日その学校を受ける集団のポジションを表すもの。しかもそのポジションは、知識・理解ベースの問題をどれだけ解けるかの位置づけに過ぎない。入学時の偏差値と卒業時の実績は、もともと相関はないことは、各学校が調査済み。それゆえ、新タイプ入試などを開発している。

「偏差値」という数字をどう扱うかは、それは、塾歴社会で安穏としている高偏差値の学校に対する仕掛けでもある。もちろん、おおたとしまささんは、そんなことは百も承知であえて警鐘を鳴らしている。ただ、バブル偏差値に用心しなければ、もちろんならないが、それがない状況の高偏差値のポジションニング固定化もやはり問題なのである。洗足がフェリスを抜いているが、それによって、フェリスが覚醒するということもあるかもしれない。偏差値をめぐる問題は、実に複雑系だ。

★たしかに複雑系なのだ。しかし、このままにしておいては、世の中の人も偏差値を冷静に見つめることが難しいかもしれない。そこで、偏差値に対するものの見方という視点を次のように整理してみた。


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★こうして整理してみると、おおたとしまさ氏は、偏差値というポジショニングを「権威強化」として活用することの危うさに警鐘を鳴らしているということが了解できる。

★そして、これは偏差値に限らず、「評価」全般に対するものの見方にもあてはまるし、実は「システム」という言葉に対するものの見方にもあてはまる。

★法律の基準でいう、sein(be?)とsollen(should?)の違いをどう考えるかという基本問題に通じるかもしれない。

★よく欧米では、偏差値は使わないというレトリカルな表現が使われるが、確率論的統計学は使われる。それがベルカーブではなく、ロジスティック曲線だったり、散布図だったり、いろいろあるだろうが、分布という確率の世界は使う。

★AI社会になったら、この確率は重要な数学的思考となる。権威的な世界からそろそろシフトしたいものである。

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