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2018年10月23日 (火)

聖パウロ学園 生徒は根源的な存在に触れ、自分の殻を破っていく。(1)

★聖パウロ学園は、聖地高尾山に囲まれた自然の中にある。その空間が、学園にとってさりげない日常なのだが、世界の中でも近代的な都会東京都の中にあることを思えば、一般の人々にとっては、そこは異次元の学びの空間が広がっているといえる。

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(左から、主幹小島先生―国語科教諭、教務部長松本先生―数学科教諭、英語科主任大久保先生)

★21世紀の大きなテーマの一つに、自然と社会と精神の最適な循環世界を創るにはいかにしたら可能かというものがある。SGDsというグローバルゴールズへのアプローチは、その一つの大切な方法であるが、聖パウロ学園の場合は、生徒はそれを考え、話し合い、自分事として、何をやったらよいのだろう?How could we not?と自問しながら、世界とつながっていく。

★だから、偏差値に関係なく、生徒たちは成長し、AO入試などで自ら関門をくぐりぬけていく。聖パウロ学園は、学びのユートピア。あるいは教育の桃源郷である。そう感じたのは、3人の先生方と対話をしたからだった。

★小島先生は、現代文のカリキュラムでは、教科書の枠の中だけで授業は展開しないという。新書を丸ごと読み込むことからはじまるという。現代文の授業にかぎらず、従来の授業は、生徒が興味と関心をもつもたないにかかわらず、客観的な知識を蓄積し、客観的な情報や文脈を取り出していく作業で十分だった。

★しかし、それでは、自分事にはならず、社会に応用する自分の発想や世界観はなかなか生まれてこない。しかし、SGDsのいずれかにかかわる世界の痛みをテーマとした本を丸ごと読み続け、仲間とディスカッションし、互いに何が問題なのかどう感じたのかプレゼンし合うことで、1人ひとりの関心時がそこには生まれてくる。

★「関心」とは、聖パウロ学園にとってはとても大切なキーワードだ。なぜなら愛の反対語は無関心であるという、黄金律を共有しているカトリック学校だからである。つまり、世界に対する客観的なアプローチはダウンローディング、観るという過程でとても重要であるが、学校が予備校でなく、教育を標榜する限り、その次の段階のinter主観、つまり私たちが共有する主観的な感じ方まで語り合うコトが大切なのだ。

★小島先生は、生徒たちは、そこまでいくと、自分たちは何かできないのかと問題解決の階梯を登りははじめるという。そこから、いよいよ本格的な小論文やプレゼンテーションという豊かで面白くそれでいてシリアスなパフォーマンスが生まれてくるのだと。

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★小島先生の話に耳を傾けて、これこそ21世紀型教育機構が求めているPBL(Project based Learning)であると感じ入った。授業を通して、生徒は、客観的な世界→my主観→our主観→world主観へと世界の痛みを解決しようとする自己変容を果たしていく。オットーシャーマー教授のU理論は、ある意味21世紀型教育機構のPBLのコンセプトとシンクロしていたのだ。

★従来の授業では、客観的な世界を知ることで終わり、むしろ主観的要素は排除されてきた。しかし、その客観的な世界は、2040年を前に揺らいでいる。そこにのみ生徒が拠って立っていたらいったいどうなるのだろうか。

★聖パウロ学園の先生方は人類の子供たちのために、21世紀型教育に、聖地高尾山の自然の中で舵を切ったのであろう。

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