私立中高一貫校の4つのタイプ
★2013年ごろまでは、<私学の系譜>と<官学の系譜>で考えていけばよかった。学歴社会の圧力に<私学の系譜>が屈するコトのないようにがんばる私学が、学歴社会加担からなんとか脱しようと21世紀型教育が生まれた。
★この21世紀型教育への道は、しかし、グローバル教育とICT教育によって、さらに2つの私学タイプを生み出すことになる。経済的価値に重きを置くリバタリアン私学と<私学の系譜>だとか<官学の系譜>という歴史的流れを超越する私学である。
★【図1】は縦軸が私学の系譜の両極を表現。ジェダイ型とは、明治以来150年経って、<私学の系譜>の現代化を追究するタイプ。ダース・ベーダー型とは、<私学の系譜>を<官学の系譜>と学歴社会の中で競り合い、勝利するコトで維持しようとするタイプ。
★横軸は、21世紀になって、私立学校に市場経済の強風が吹き、その風に乗ろうとするマネタリズムとかリバタリアニズムを推進するミルトン・フリードマン型の私学の登場。起業家精神とか20世紀型資本主義に対する内省なしの市場のルールで、私学の多様なルールを破壊していく。
★内省なしのとりあえず創造的破壊とかイノベーションからはじめようというタイプ。資本主義の原理を知り尽くしたというかそれを生み出した<私学の系譜>は、その弱みも知っている。それがゆえのルールがあるのだが、それが形骸化して機能しなくなったものがたしかに多い。
★だから、マーケットリーダー型の校長や教頭が、ビル・ゲイツやジョブスのような装いで現れると、市場は色めくのだ。ざわつくのだ。
★一方、その反対に、ダライ・ラマのような超人的オーラを広げ、弱い立場にたたされがちな教師の救済場、また学歴社会で高ストレスに悩んできた生徒の救済場としての私立学校も出現する。自由の森学園のようにマルクス的な自由論のエネルギーは出さない。
★そういう討論や議論はしないで安心安全の心=共感を大切にする。それはマインドではなくハートである。マインドは知と感性の弁証法的な動きがあるが、ダライ・ラマ型の発想は、何よりも気持ちが大事なのである。
★21世紀型教育をベースとするジェダイ型私学は、ダース・ベイダーと闘っているから、フリードマン型私学やダライ・ラマ型私学の出現を頼もしく思う。
★もちろん、フリードマン型私学もダライ・ラマ型私学も21世紀型教育など眼中にない。今さら、<私学の系譜>にこだわる必要などないのだと考えている。こだわる必要性がわからないということだろう。
★<官学の系譜>と対になる<私学の系譜>など日本の近代社会の歴史の枠組みの話ではないかと。
★たしかに、そういう見方もできる。しかし、<官学の系譜>と<私学の系譜>は、ある意味人類の永遠の問題である普遍論争の両極でもある。価値など相対的で本質的価値など存在しないとするか、本質的価値がどこかに在るからこそ価値相対主義は成立するのだとするか。日本の近代社会の制約を超えようとしている人類の子供たちがこれからも常に直面する究極のジレンマである。
★この知恵の輪をいかにしたら解けるのか。人類の歴史の深層に流れる通奏低音に耳を傾けると、そのときようやくその重要性が開けてくる。
★しかし、大事なことは私立中高一貫校がようやく座標的広がりで動き始めたことだ。今までは、学歴社会の中で競争する枠組みの中で私学のタイプを論じてきたにすぎない。
★その枠組みを創造的に破壊しようとする時代の動きが、ジェダイ型私学、ダライ・ラマ型私学、フリードマン型私学を生み出したのだ。ジェダイ型私学で、ダライ・ラマ型に少しよっている象徴的学校が聖学院である。
★ジェダイ型私学でフリードマン型私学に少し寄っている象徴的存在が三田国際学園である。
★フリードマン型私学でダース・ベイダー型私学に与しないタイプの象徴的存在は、来春共学化する武蔵野大学中学校である。今話題の改革派の公立学校は、ある意味このタイプの学校である。経済的価値優先にすると、権威や規制を突破しやすいからだ。学歴社会から脱却するには、これが近道でもある。ただし、歴史的普遍性も、権威と誤認され排除されてしまうこともある。
★ダライ・ラマ型私学は、今のところかえつ有明をおいて他にない。2016年、同校は歴史的事件によって、<私学の系譜>を捨てざるを得なかった。それゆえ、あらゆるしがらみから自由な場を設定することができた。ある意味、歴史的事件を受け入れることによって歴史的機会に変容させるシナリオプランニングをやってのけた学校である。
★ともあれ、この拡散と分割は、2030年ころから、収束に向かうだろうが、当面は爆発的に広がるだろう。
★私立中高一貫校の4つのタイプのダイナミズムが歴史を変えるのか、歴史の狡知がこのダイナミズムを演出したのか、それはわからない。どちらにしても歴史は変化を欲求しているのは確かなようだ。
★だから、マーケットリーダー型の校長や教頭が、ビル・ゲイツやジョブスのような装いで現れると、市場は色めくのだ。ざわつくのだ。
★一方、その反対に、ダライ・ラマのような超人的オーラを広げ、弱い立場にたたされがちな教師の救済場、また学歴社会で高ストレスに悩んできた生徒の救済場としての私立学校も出現する。自由の森学園のようにマルクス的な自由論のエネルギーは出さない。
★そういう討論や議論はしないで安心安全の心=共感を大切にする。それはマインドではなくハートである。マインドは知と感性の弁証法的な動きがあるが、ダライ・ラマ型の発想は、何よりも気持ちが大事なのである。
★21世紀型教育をベースとするジェダイ型私学は、ダース・ベイダーと闘っているから、フリードマン型私学やダライ・ラマ型私学の出現を頼もしく思う。
★もちろん、フリードマン型私学もダライ・ラマ型私学も21世紀型教育など眼中にない。今さら、<私学の系譜>にこだわる必要などないのだと考えている。こだわる必要性がわからないということだろう。
★<官学の系譜>と対になる<私学の系譜>など日本の近代社会の歴史の枠組みの話ではないかと。
★たしかに、そういう見方もできる。しかし、<官学の系譜>と<私学の系譜>は、ある意味人類の永遠の問題である普遍論争の両極でもある。価値など相対的で本質的価値など存在しないとするか、本質的価値がどこかに在るからこそ価値相対主義は成立するのだとするか。日本の近代社会の制約を超えようとしている人類の子供たちがこれからも常に直面する究極のジレンマである。
★この知恵の輪をいかにしたら解けるのか。人類の歴史の深層に流れる通奏低音に耳を傾けると、そのときようやくその重要性が開けてくる。
★しかし、大事なことは私立中高一貫校がようやく座標的広がりで動き始めたことだ。今までは、学歴社会の中で競争する枠組みの中で私学のタイプを論じてきたにすぎない。
★その枠組みを創造的に破壊しようとする時代の動きが、ジェダイ型私学、ダライ・ラマ型私学、フリードマン型私学を生み出したのだ。ジェダイ型私学で、ダライ・ラマ型に少しよっている象徴的学校が聖学院である。
★ジェダイ型私学でフリードマン型私学に少し寄っている象徴的存在が三田国際学園である。
★フリードマン型私学でダース・ベイダー型私学に与しないタイプの象徴的存在は、来春共学化する武蔵野大学中学校である。今話題の改革派の公立学校は、ある意味このタイプの学校である。経済的価値優先にすると、権威や規制を突破しやすいからだ。学歴社会から脱却するには、これが近道でもある。ただし、歴史的普遍性も、権威と誤認され排除されてしまうこともある。
★ダライ・ラマ型私学は、今のところかえつ有明をおいて他にない。2016年、同校は歴史的事件によって、<私学の系譜>を捨てざるを得なかった。それゆえ、あらゆるしがらみから自由な場を設定することができた。ある意味、歴史的事件を受け入れることによって歴史的機会に変容させるシナリオプランニングをやってのけた学校である。
★ともあれ、この拡散と分割は、2030年ころから、収束に向かうだろうが、当面は爆発的に広がるだろう。
★私立中高一貫校の4つのタイプのダイナミズムが歴史を変えるのか、歴史の狡知がこのダイナミズムを演出したのか、それはわからない。どちらにしても歴史は変化を欲求しているのは確かなようだ。
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