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2018年9月16日 (日)

【予測不能】の本当の意味

★「予測不能」「予測困難」な時代に対応するための新しい教育・学びという方向性は、よく言われるし、私もよく語る。間違いではないが、怖くて本当のことが言えないというのが本当のところか。

Ochiai
(アサンプション国際の落合先生の中2の理科のPBL型授業。「予測不能」の本当の意味をつかんだ授業。)

★何が怖いかというと、「予測不能」「予測困難」の本当の意味が恐ろしいのである。このことについて、しっかりと理解して動いている学校、企業もある。

★また無自覚だが、直感的に動いているところもある。

★わかっていなくて、予測不能だから、みんなで協働してやろうと、ベクトル外れのアクティブラーニングをやって、人類の子供たちの限られた時間という資産を奪っている学校や企業もある。まるで、時間泥棒の灰色の男たちだ。

★みんなで協働してやろうというシーンが、モーゼに救われたのにもかかわらず、拝金主義に陥ってバカ騒ぎをやって、神という真実の雷に滅んでいった人間たちの姿と重なると心配になるのは私だだけだろうか。

★20世紀型教育と21世紀型教育という表現の本当の意味は、産業革命から20世紀までとAI社会に移行する21世紀は断絶していることを意味する。

★まさかと思われるかもしれない。連続していると捉えたい気持ちもわかる。なぜなら、今まで体験したことのない事象や現象が目の前に広がるのを怖くて見られないだろうからだ。

★もうその兆しはあらゆる場面で起きている。通信制高校とサポート校の連携の広がりは、予想以上に加速度化している。

★車のEV化も相当のスピードで進んでいる。この背景には、CO2削減ではなく、過剰なCO2を出さないという方向に進んでいるのである。このことの重大な意味。恐ろしくはないだろうか。

★この2つの現象の何が関係しているの?と思われるかもしれない。大いに関係がある。この現象は、この恐怖体験に耐えられる準備なのである。無駄なことは一切せず、優先順位という「世界制作の方法」の重要なスキルの1つを実行している。

★だから心ある学校、心ある教師は、授業というスモールコスモスの中で、その準備をしている。最も重要なことは、予測不能な未知との遭遇時に、子どもたちは何ができるかだ。そこで必要なところから、優先順位を見定めて行われている授業は教育の世界で求められている2番目に重要なことだ。

★1番目は何か?それこそが予測不能が意味することである。ここに行き着いている組織は、まだ少ない。EVもともすれば、元の木阿弥の可能性がある。

★とにかくその恐ろしさのあまり、これ以上は先に進めないが、たしかにこの恐怖に耐えられる準備をしている学校や企業があるが、新しく立ち上がっている通信制高校とサポート校の関係は、今までの学校と企業と塾の関係の引き算の美学関係であることに気づくだろうか。

★もはや、文科省も静かにこの関係を支持している。従来の制度設計にその創造的崩壊の制度を挿入していたのが、ここにきて、じわじわと効いている。それゆえ、注目され始めているのだ。


★経済的に見れば、ここが生き残る市場だからだ。政治的に見れば、新しい制度設計のモデルがここにはあるからだ。

★そして、人間の深い存在の意義に触れている場がそこにはあるからだ。

★アサンプション、ヌヴェール、パウロ、ドミニコも、実は同じ引き算の美学が隠れているが、この存在に気づいている人は、学校内でもまだ少ない。もしかしたら、忘れられるかもしれない。このカトリック学校の協働は、まだ道半ばであるが、できればサバイブできる可能性がある。

★麻布、開成、武蔵も、同窓会と学校の関係に、通信制高校とサポート校の引き算の美学の構造と同じものがある。あるものとEVの関係もそうだ。そろそろゾンバルトとヴェーバーを統合して次のステージに移行する時期である。

★産業革命以来、ゾンバルトバリューとヴェーバーバリューは統合されないまま20世紀まで続いてきた。21世紀は、その両方の価値が併存することはない。なぜなら資本概念が変わるかるからだ。この新たな概念がパンドラの箱なのである。

★パンドラの箱の意味は諸説があるが、ここでは多くの災いをもたらしたあとに、希望が残るという意味で使いたい。そして、これが引き算の美学というわけである。

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