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2018年9月 5日 (水)

内蔵秩序と外在秩序のエッジ(2)

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(聖学院伊藤先生)


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(静岡聖光学院田代先生)

★お二人の対話のテーマはグローバル教育。伊藤先生は、聖学院のタイ研修を例にグローバル教育3.0を語った。田代先生は、静岡聖光学院のマレーシア研修を例にグローバル教育3.0を語った。

★タイの山岳少数民族が居住する地帯に、国籍のない子供たちや一定の年齢になったら考えられないひどい目にあう少女たち救済拠点メーコックファームという孤児院がある。その孤児院は現地の人々とコラボして聖学院が作ってきたもので、毎年聖学院の生徒が訪れる。それがタイ研修だ。

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★いわゆる語学研修や短期長期の留学ではない。上智大学がカンボジアで行っているボランティア活動以上に、それまで生徒の築き上げてきた内蔵秩序IOが衝撃的に崩れてしまう凄まじいボランティアなのである。

★おそらくIBやRSのようなハイレベルの教育が行っているボランティアのように、あるいはそれ以上に、生徒は命の意味をストレートに問いかけられる研修である。

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★一方、東のイートンと呼ばれているマレーカレッジが中心となって行っている国際科学会議に招かれ、静岡聖光学院の生徒はアジアのエスタブリッシュな学校の生徒たちと英語で対話しディスカッションし、プレゼンをしてきた。しかし、そこで、彼らは、2020年には日本の経済と教育を追い抜くのだというマレーシアのイスカンダル計画のすさまじさに、舌を巻いた。

★すなわち、日本の世界におけるプレゼンスはヤバイ。マレーシアで出遭った友人といっしょに未来を築くためにも、絶対に負けたくないという意志を抱いたのだった。


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(今回のマレーシア体験は、YouTubeで閲覧できる。)


★タイの孤児院とマレーシアというハイレベルな学校。研修地は両校違うが、生徒が、今まで自信をもって築き上げてきた内蔵秩序IOが脆くも崩れ去ったという点では同じである。

★伊藤先生と田代先生は、その経験は自分たちも同じように洗礼を受けたと掛け合いで話し、会場からドッと笑いが出るシーンもあったが、笑いを誘引しなければならないほどの緊張が走っていたのだ。

★両校の生徒たちは、言った場所が真逆の場所、すなわち富裕層と貧困層の大きな格差の両端に行ったわけだが、その両方で、自分の無力さを思い知ったのである。

★語学研修や留学でここまで限界ギリギリの体験をすることはほとんどない。しかしながら、そこを突破するレジリエンス(回復力)を日ごろPBLというプロジェクト学習で養っているからこそ、先生方も彼らの体験を見守ることができたのだという。

★しかも、そのレジリエンスの過程で、生徒は大きくなるのだという。この無力な自分に何ができるのだと新たな探究の旅が始まる。

★そのときいったん崩れた内蔵秩序は再構築され、もっと強くなっている。自分の想像を超える外在秩序EOの存在を自分の世界に受けいる。両秩序の間に新たなエッジが現れる。そこに立って見る景色は今までとは異なっている。

★そこは、外も内も自分の力の及ぶポジショニングである。自分がどう行動すればよいのか、自分で決められる。


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★聖学院タイ研修は、生徒1人ひとりが自分の体験をドキュメンテーションにまとめて冊子にする。その売り上げは、もちろん、メーコックファームに寄付。文章を書く行為は、大学入試の小論文対策のためにあるのではない。命をつなぐために血のインクで綴るという行為なのだ。


★モチベーションとは、限界ギリギリに立ち、自分がどうすればよいのか考えざるを得ないポジショニングに立たされた時、あふれ出る。グローバル教育3.0は、多様性の中に身を置くことで、ドメスティックな内蔵秩序IOを創造的に破壊する体験であった。


★笑いとシリアスな言葉のジェットコースターに乗って、心揺さぶられるトークセッションだった。



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