女子美大大学院生3作家によるギャラリートーク
★私の妻もその一人で、祖先以前性ギリギリに立って、そこからあふれでる人々の祈願を描いている。テンペラ技法を現代化してみるというコンテンポラリーアートということだ。
★彼女は、祖先以前性というカンタン・メイヤスー的コンセプトや祖先以前性における構造主義をレヴィ=ストロースに追い求めたりしながら、洞窟壁画や縄文土器のリサーチ旅行に出かけたりしてきた。
★ アーティストである娘夫婦が帰国した時には、助言をもらうなどしていた。もっともSNSで頻繁にやりとりをしているようだ。私とは芸術と認識論について語り合うが、やはりカント的認識論を乗り越えられるのか乗り越えられないのかそのエッジを見出すのは、手に負えない。
★いつも、認識の連鎖の生み出す隘路に出くわしてしまうからだ。というわけで、そこはアートに任せればよいかと、私の方は諦めがはやい。がんばって!と。
★現代美術展では、3作家が、油絵技法、色鉛筆技法、テンペラ技法とそれぞれ特徴的な描き方をしていて、おもしろい。また、1時間にわたる参加者とのギャラリートークは、素直な感じで心地よかった。
★正解はもちろんない。しかし、そのギリギリのところで没入して創造している、ものをつくっている。そのときにこそ、その瞬間だけでは、何かを超えている感覚を抱いているということは共通していたように思う。
★しかし、その瞬間から解かれると、その感覚は消えてしまう。フロー状態の至福とそれが解かれたときの倦怠感。
★まさに人生は、PBLライフで、PBLライフにとって、レジリエンスとグリットのケアがいかに大切かということだろう。フローとハードファンの背景に、このレジリアンスとグリットがない場合ライフPBLはしんどいものになろう。
★ギャラリートークは、私にとってはPBLの探究の場に変容していた。
★帰り道々、美術展でいろいろな方と対話をしたと聞いた。その話の中で、品の良い老人で、物理学の元教授が、自分も絵を描いているのだけれどと絵を見ながら語りかけてきたという。絵の前で対話をしたり写真を撮ったりという空間がその都度生まれることも一つのコンテンポラリーアートの試みとして行っているのだという。
★さて、元教授は、時間と空間と絵を描くという行為の関係について語りかけてきたり、アインシュタインの時空論がでてきたりという話を聞いたときに――STEAMってこういうところにも関係している考え方だなと、すぐに自分の仕事関連に結びつけるのは野暮だなと思いつつも――感じた。また、次のテーマは何か準備をしていますかと尋ねられたとも。そして、それは私も物理学の新たなテーマを探しているところなんですよとつぶやかれたと。
★PBLとはやはり、自分の生涯かけてのプロジェクトを引き受け投射する生き方そのものなのだと。そして、それが対話によって共感することができたら、それだけで人は幸せを感じられるのかもしれない。
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