« i専門職大学への期待 新しい都市づくり | トップページ | 【思考コード分析09】 思考論的転回が起きている。 »

2018年8月15日 (水)

英語民間試験の成績活用について約半数の国立大が決められない。

★昨日の朝日新聞(2018年8月14日)でこんな記事が出た。「東大の答申に他大衝撃 英語民間試験の活用、結論遅れる」。今年の高1が2020年大学入試改革実施の最初の学年であるから、9月には英語民間試験を、どのように活用するのか決めなければ遅すぎるだろうということだろう。記事にはこうある。

「大学入学共通テストで導入される、英語民間試験の成績活用の基本方針を約半数の国立大が決められずにいる。目的が異なる複数の試験を比較することの公平性などについて、学内で議論が続いているケースが多い。しばらく公表できないとする大学も多く、受験生への影響を心配する声もあがる。」

★経済的公平性の問題はあるが、それはこの学歴社会を作ってきた今までの経緯から言えば、問題のすり替えだろう。学歴社会を解体するためにも、大学入試改革を行うというのが、背景にあるはずである。

★目的が違う英語の試験?どんな目的が違うというのか?学習指導要領と世界標準のカリキュラムを比較するとあまりにギャップがあるということか?

★それなら、それを解決することが優先するのであって、ギャップがあるから、今のままでよいというのは、おかしな話だ。

★それにたとえば、英語民間試験でC1レベルの生徒が、センターの試験をウケたら、満点をとってしまうというのは、過去のデータを調べれば明らかになってしまう。東大の2次試験の場合、120点満点中100以上とれてしまう。

★これも、調べればすぐにわかることだ。

★事実上、英語民間試験でC1を目指して学んでいる生徒が合格しているだろう。別にC1めざさなくてもよいだろうという方もいるけれど、世界の大学はそのレベルを要求するというより、必要としている。言うまでもなく、英語という共通言語で、チュータリングやディスカッションを行うには、C1があるとまずなんとかなる。

★ここは日本だあ!という人もいる。でも大学というのは、学問をやるにしても、ビジネスを学ぶにしても、どちらも世界に開かれていて、国内だけで研究したり探究したりしている大学は、今や皆無だろう。

★世界に開かれているというコトは、学会で発表するだけではなく、日本の学生が海外留学したり、海外から留学生がやってくるその量が半端ではなくなるということだろう。

★そのとき、C1英語は必要だ。すでにAPUにチャレンジする海外留学生のTOEFLやIELTSのスコア平均はB2~C1である。

★こういう事実を知らないはずがない国立大学の教授陣が、決められないというのは、やはり不思議の国「日本」だからだろうか。つまり、本音と建て前の二重構造ということ。

★いずれにしても、大学共通入学テストは、必要なのか?これ自体の存在根拠が、SATやAレベル、IBをモデルにしているにもかかわらず、目的が異なるとかいう話なのだろうか。

★一方で、eポートフォリオ化やAO入試化のダイナミックな潮流も生まれている。英語民間試験の資格について、受験生は、当然アピールするだろう。

★そのとき、アドミッションオフィサーは、ハイスコアを有している英語力を無視することができるのだろうか。

★英語民間検定試験を指標としている私立中高一貫校の生徒が、その英語のスコアで、直接間接大学に合格していっているという事実はどう判断するのだろう。

★私立学校は、公立学校とフェアな競争をしていないということなのだろうか?私立学校は、グローバル教育をベースにするところが多くなってきているから、これまでの英語教育では、世界標準の教育のモノサシをあてると、ギャップが大きすぎるからと、その問題解決をしているだけである。

★したがって、公立学校は、国際社会はフェアな競争をしていないと言っていることと同じになりかねない。

★公立学校も、世界標準をクリアする教育を行えるように、文科省や自治体、国立大学がプランすることのほうが当然だと思うのだが、最近メディアを賑わしている、幾つかのスポーツの組織やあの官庁と同構造だということだろう。

★そもそも公平性、公平性というなら、タックスペイアー全員の子弟が国公立大学に行ける環境を整えたほうがよいのではないか。

★留学生を半分入学させる条件を付ければ、私立大学の必要性も十分あるし、国立大学以上の魅力を私立大学がアピールできるようにアップデートを繰り返すことにもつながるだろう。

★言い換えれば、イノベーションに満ちた大学が日本中にあるというわけだから、日本列島それ自体が丸ごと魅力的になり、産業立国、科学立国、観光立国など国力が倍増する。人口も減少するから一人当たりのGDPも倍増以上だ。

★国公立大学が頑張ってくれれば、2040年はバラい色の未来図を描ける。もし頑張らないというならば、タックスペイアーとしては、助成金を厳しくコントロールし、海外留学助成金を個人に出せるように法改正を迫る以外にないだろう。

★法改正が成就するまでは、時間がかかるから、それまでは、個人個人がソフトパワーに磨きをかけ、海外にスカラーシップで行けるように学んでいくしかない。

★ウム。どうやら、マーケットは、結局というか初めから、個々人のソフトパワーに期待しているというコトだったのかもしれない。

★国公立大学が、頑迷固陋の壁を強固にすればするほど、マーケットは個々人のソフトパワーを磨き上げる環境や機会をアップデートしていくというマーケット知の狡知だったということか。

★それに、そのような頑迷固陋な壁をつくるということは、ある意味知の独占を意図する産官学の計算でもあるだろう。それが学歴社会の本意なのかもしれない。大学という一見、経済圏から隔絶したエリアは、独禁法からは免れる格好の産業界の場であろう。もちろん、特許という権利は守られるから、それでよいのだろうが。。。

★ただし、権利と権力の境目がなくなっているのかもしれない。だとすれば、やはり個人のソフトパワーを磨きあげ、アップデートできる環境をマーケットが生み出す以外にないということだろう。知の独占の解放を促す方法として、それが歴史の黄金律なのかもしれない。

|

« i専門職大学への期待 新しい都市づくり | トップページ | 【思考コード分析09】 思考論的転回が起きている。 »

大学入試」カテゴリの記事