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2018年8月 9日 (木)

女子美 STEAMが中心の女子校

★日本の近代化や今でいうグローバル化をはやくも提唱していた横井小楠(酒豪が玉にキズすぎたのだが)の甥と結婚した横井玉子が創立した女子美術大学。今、美大唯一の付属校である女子美術大学付属中高(以降「女子美」と表記)が熱い、おもしろい、アートフルである。

Joshibi

★今年7月、首都圏模試センター主催の「統一合判」の「志望者数」をみると、2科受験生の前年対比は、109%。そのうち第一志望者数の割合は、56%である。いずれにしても、140人定員のところ、首都圏模試センターの志望者だけで、196名。第一志望者数は、110名である。勢いがあるなんてもんではない。

Hartful

★実は、私の会社FDesign社には、創造的才能者のためのアートプロジェクトがあって、年中さんから小学校高学年(中学受験するというので、たいていは4年生でやめるが、気晴らしにときどきやってくる。中学生になっても油絵を描きにやってくる生徒もいる)が参加している。

★小さなプロジェクトで、定員はいっぱいで、口コミのみで運営している。主宰者は、女子美大学大学院出身者で、サポーターも女子美出身者が多い。

★彼女らも、いろいろんなところで活躍しているので、週1回のプロジェクト(月3回ぐらいになってしまいがちなのだが)。よって、その活動は限られているが、年に1度の子供たちの制作作品展示会を行い、これまた年に1度の絵画コンクールに作品を出している。賞もたくさんもらっている。

★主宰者は、創造的才能がそれぞれの子供にあるので、それを引き出すために、まずは誰でも絵が描けるようになるパターンランゲージ風の描写スキルを生徒に提供する。ホワイトボードに描いてみて、あとは子供たちがそれを活用しながら描いていく。

★そんな中から、絵が描けることのモチベーションが燃え上がり、描いているうちにオリジナルの絵になっていく。オリジナルの絵になっていくには、いろいろな素材や道具が必要で、低学年のころからパステルや水彩色鉛筆、油絵具、アクリル、ねんど、木材、大きなサイズの紙、小さなサイズの紙などを使う。絵を描くだけではなく、クラフトや絵本作りなどもしている。

★このプロジェクトから女子美中に進んだ生徒が2人いて、そのうち1人は高2だ。小学校3年生の時からきている。毎年、夏のワークショップでは、チュータとーして手伝ってくれるが、高2生の成長ぶりに目がしらが熱くなったと講師陣。

★女子美で、ただ絵を描くだけではなく、制作というプロセスの舞台裏を経験し、協働して作品を制作することも大いにあるのだろう。ファシリテーター的な動きを柔軟にできるようになっていたという。このような体験は、実は実社会でも必要なスキルをストレートに養うことになっていて、オーセンティックな学びが行われているということだろう。

★あの落合陽一氏も、エンジニアリングとデザインだけでは最適化しかできず、それを超えるには、今後サイエンスとアートが必要なのだという。

★横井玉子は、今の芸大ができたとき、喜んだのもつかの間、女子は入学許可がもらえなかったので、女子美を創立することを決意した。私たちのプロジェクトを、日本に帰ってきたときに時々サポートしてくれる女子美大学のOGは、今インドネシアを拠点として女性が虐げられてきた歴史的事実をリサーチし、それを概念的にではなく、アートとしていかに表現するか制作活動をしている。それが未来を拓くことにつながるはずだと。

★女性の問題は、今もなお、日々メディアが取りあがているぐらい、解決がついていない。

★女子美時代にその影響を直接受けたというよりは、イギリスの大学院で、歴史とアートを学ぶ中で、女子美のアート遺伝子に気づいたという。

★すべての女子美生に出会ったわけではないが、周りにいる多くの女子美の生徒――中学から大学院生までの知り合い――を見ていると、ワクワクしながら、日常の中にありながら多くの人に気づかれていない本来的な世界をいかに表現するか活動している。

★サイエンスもアートも、学びもアートも、新たな知や世界を見つけたり、生成したりする点で共通で、STEAM的発想は、当然だという。ただ、教科というフレームの中で、最適化を目指すこれまでの日本の教育はそこに限界があると。そこは越境しないとねと言うかと思ったら、それはそれで、あまりに常識的な発想で、それ自体、少し距離をあけて囚われないようにしたいとねとクリティカルシンキングを通しながら柔軟な判断をしている。

★そういう彼女らは、大学から女子美である。だから、女子美の中高生をみていて、女子美の中高は、最適化をすでに超えていて楽しそう、羨ましいと。ただ、英語はもっとやらないと、アートマーケットでは生きていけないかなと。日本にはアート資本主義という過酷だけれど、自分の腕の見せ所というような場がほぼないから、まだ気づかないのだろうと。

★今やアーティストの活動は、グローバルで、アートと資本主義というパラドクスの波が常にふりかかり、その知恵の輪をいかに解くのかは、常に議論になると。そして、解決するには、やはり多様な対話しかないと。その発想で、6月は東京都美術館で、ヨーロッパ、アジア出身のアーティストと協働して展示したという。11月はまた東京都の運営する企画展に別の作品群を出品するという。英語だけでももちろん足りず、多言語主義でなければやっていけのだという。

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