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2018年8月 8日 (水)

【思考コード分析04】 AIと禅とC軸と

★三宅陽一郎氏の著作「人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇(2018年4月 ビー・エヌ・エヌ新社)」の中に「禅と人工知能」という章がある。今までのAIは、西洋思想というか、アリストテレス的な哲学発想でできているから、フレーム問題を超えられない。これからのAIは、これを超えなきゃいけないけど、そこに禅の発想があるといういのだ。おもしろいなあ。

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★この本自体を「思考コード」に沿って、」読んでみるのも興味はあるが、何せ民間リサーチャーがゆえに、資金も閑もない。いや資金がないだけで、閑だらけで、本ブログも閑人閑話ってわけだ。

★ともかく、体験のフレームを決めて、その中で問題を発見し、そして問題解決をするというのが西洋的発想であるということらしい。AIのフレーム問題は、20世紀末からアポリアということになっていたけれど、今でもまだその知恵の輪は解けていないようだ。

★一方、東洋的には、いろいろな体験の諸関係の中に生成される本質を時が熟すのを待つようにする仕方らしい。問題解決を欲求するという、しがらみの中で最適解を見出すモチベーションとはまったく別な雰囲気。

★かといって、その欲求を捨てていけばよいかというと、そうではないらしい。別次元の何かに変容するというのだ。それはつまり、フレームの外に出てしまうというコト。

★そりゃあ、IB(バカロレア)で、東洋思想を排除するというコトもわかるような気がする。ともあれ、三宅氏は、こう語っている。

人工知能の対義語は禅かもしれませ ん。 偏見や煩悩 を与える人工知能 と、 そこ から解脱する禅は反対のこと です。

人工知能を作るという 試みにおいて こそ、 これまで分割されてきた学問は再統合を果たすこと になり ます。 人工知能の開発と探求の場こそ、 エンジニアリング( 工学)、 サイエンス( 理学)、 哲学( フィロソフィ) が自然に融合する場 なの です。 人工知能は人間の知 の結晶であると同時に、 新しい現実の可能性 なの です。
体験を概念化して理解すること、 これが、思考が行っ て いる ことです。 そして 知能は問題に直面する以前に、 言葉も記号も準備さ れた枠組みを当てはめ て理解 しよ う と します。 禅という のは、 まずそういもの、 普段、 我々が世界に押し付けている認識と言葉の枠組みを否定して、 いったん枠組みを全部取っ払っ てしまいましょ う という ことなので。
★「思考コード」から見ると、体験を概念化して理解する領域は、A1A2B1B2。A3B3はCへの入り口だから、C軸思考にいれておこう。そうすると、次のように従来のAI領域と禅の領域とに分けられる。

Ai

★現状、人間は、AIの領域も禅の領域も、カバーしているが、現状の入試やその延長にある仕事は、AI領域のみだ。それで、仕事がなくなると騒いでいるのだろう。また、シリコンバレーでZENにヒントを得たマインドフルネスがブームになるのは、そんな理由があったわけだ。シリコンバレーも次の次元へのイノベーションを模索しているということだろう。

★そして、2020年大学入試も、C軸思考領域に、問いを広げていこうとしている。この動きに反対している見識者もいるが、それは明治維新のときに東洋思想を捨てた伝統に見事に乗っているということだろうか。

★啓蒙思想だって、もとは東洋思想。あっ、そうかあ、だから東大初綜理加藤弘之(聖学院の初代校長石川角次郎の天敵)は、啓蒙思想を捨てて、福沢諭吉と袂を分かち、思想的転向をしたのかあ。AIの登場が、日本の近代化の闇を露わにするということなのかもしれない。なにかAIに親近感を感じてしまうではないか。

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