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2018年7月26日 (木)

アサンプション国際 深まるインプロワークショップ

★アサンプション国際中高は、今年も人気だが、高橋博学院長と江川校長、丹澤副校長は、だからこそ、この時期に、教師も生徒も最重要なコア思考力とグローバル力を身に着けようと動いている。

★もちろん、生徒募集において、本質的な話ばかりしていても、必ずしも魅力は広がらない。だから、その根源的な種から大輪の花が咲いている様子も共有することは大事だ。

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(60分ディスカッションしたりカテゴライズを考えたりしてOur Theoryをつくったと思いきや、突然その理論を検証するために、Our Theoryをベースに授業をDoしてみようと。残り30分だったが、そこはインプロワークショップ。残りの30分で授業ロールプレイを実施。理論は検証されたのだった。)

★しかしながら、華やかなイベント型説明会は、ともすれば本質を見失うものである。そういう意味では、残念な学校は意外と多い。

★本質的な部分は、実は、本質と表層のようにわかれていない。一般に表層と思われているところに本質が宿っているから、魅力的なのだ。だから、カタチだけのイベントやって、うまくいくのは、本質の魅力によるものではない。虚飾虚栄というやる側の自己満足的な強欲がなせる業だ。

★そのような学校程、生徒の幸せを支えますと平気でいう。man for otheres は、結構苦悩の連続であり、その果てに幸せがあるのではなく、その苦悩ができるところにこそ幸せがあるのである。

★だから、そこをわかったうえで、ワクワクするような話ができるのがすてきなのである。世界の痛みを引き受けながらも快活な勇ましい姿に、人は魅力を感じるのである。幸せは青い鳥である。

★こんな思いを共有しながら、アサンプションの教師は、超多忙な中、合間を見つけて、短い時間でインプロワークショップを継続している。その輪も広まって来ている。

★今回、いつものPBLプロジェクトチームのメンバーが急な仕事が入ってきたり、この暑さで体調を崩したりして、半分が集まれなかった。できないかなと思っていたが、ゲストが参加し、実施されることになった。

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★しかし、キーノートスピーカーが突然出席できなかった(学校とは日々いろいろあるものだ)ため、インプロワークショップのキートリガー探しから始まった。何気ない会話から、PBLって結局のところ何よという話になった。成長がキーワードでは?と。
★というわけで、PBLで生徒が成長するとはいかなることかをキートリガーにしようということになった。


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★各人、ポストイット1枚に1情報、自分の感じ方・考え方を好きなだけ書き込んで、壁面ホワイトボードに貼りつけた。そして、その場で、メンバーでどうやってカテゴライズするかワイガヤディスカッション。
★カテゴライズするたびにプレゼンしていったが。この行為は何かと問いを挟みながら、自分たちの行為をシェアリング、モニタリングしながらワークショップは進んでいった。
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★そして、今やっているワークは、まさに学習する組織のレベルというわけで、学習する組織をネット調べながら、ではシステム思考に変換しようという運びになった。


★最初は、My Theoryであったが、最終的にはOur Theoryになった。アサンプション国際が本質を大事にするとは、これなのである。もちろん、学問としてのThoryは重要である。Our Theoryはいずれアカデミックな理論に一致する、あるいは超えてしまうが、Our Theoryを共有しないで、いきなり外から理論を持ち込んだとき、本質という種が育たないのである。


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★つまり、ソフトパワーは自分たちがもっていなければならないということである。ソフトパワーが借り物だと、いずれその学校はその学校でなくなる。もっとも、そういう新しい学校でよいというのなら、それはそれでありだ。

★そんなことを思いながら、先生方の対話をみていたが、ああアサンプションはアサンプションとして不易流行を全うしようとしているなと感じた。

★さて、Our Theoryが仮説ではあるが、できたのだから、今度は、もしその理論に沿って、授業をつくったら、うまくいくのか検証することになった。素材は、東大の今年の工学部の帰国生入試問題。ここまで60分。インプロ授業が30分。教師と生徒のロールプレイを行ったわけだが、WhatとHowの構造的なコンテンツが共有できた瞬間でもあった。


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★Why、Why,Why,・・・という無限後退の鉄鎖に縛り付けられる恐怖から生徒が自らを自らの手で解放できる授業。その本質がアサンプションの授業の種なのかもしれない。

★もちろん、WhyはWhatを考えるの時の大事な構成要素である。しかし、それは構造としてのシステムの一側面で、生徒は構造を見破れないと、いつまでもWhatとWhyの体験主義の欲望の虜になる。その体験の憧憬の檻からいつまでも出ことができない大人は山ほどいる。そのような大人の多くが変化を拒んできた。
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★人類の子供たちにとって、それは歓迎すべきことではあるまい。アサンプション国際は、人類の子供たちにとってのノアでもある。

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