2019年6月24日 (月)

「第1回未来を創る学校フォーラム」(01)ジェネレーターの誕生!

★6月23日(日)順天で、「第1回未来を創る学校フォーラム」を開催。従来とは違い、生徒と教師が垣根を超え、ただただ共に語り合うBarazaを一つの柱とした。Barazaは、スワヒリ語で"集会・会議を意味するが、八雲学園が加盟しているRound Squareの国際会議で行われるディスカッション方式で、言語と身体脳神経系だけで、語り合い、響き合い、新たな発見や気づきが発生してくるものである。

★これができるには、極限の体験(人によって相対的)をして、そこから自分とはこういう人間ではないかと思いをもち常に考え実行する人が集まらないとできない。そうではない場合、レゴやドコデモシートや各種カードやアプリやポストイットなどを「媒介」して興味と関心を吹かす必要がある。しかし、今回はただただひたすら対話できる生徒に参加してもらった。

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★21世紀型教育機構の仲間の学校は、みんなが才能者でクリエイティブクラスになれる環境をつくろうと先生方が日夜努力してきた。そして昨年あたりから、足並みが揃い始めた。そこで、そろそろ生徒と教師の垣根を超えて、かつ学校間の垣根を超えて集まってただただ話し合ってみたいと。もちろんBarazaでもキーノートスピーカーはいる。それゆえ今回はその部分は、順天の校長長塚先生、聖徳学園校長の伊藤先生、八雲学園の英語科主任近藤先生にお願いした。特に近藤先生には、日本でただ一人のRound Squareの名誉会員榑松先生といっしょに参加していただき、プログラム最後に、Round SquareとそのBarazaの意味の解題をしていただいた。

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★それにしても、生徒の圧倒的な思いと思考とプレゼンテーションの迫力に、先生方も突き動かされ、各チームの対話は、インスピレーション、アイデア発生の泉と化していた。

★今回のスーパーバイザー児浦先生(聖学院21教育企画部長、国際部長、広報部長、21世紀型教育研究センターリーダ)は、生徒の姿をみて、「ジェネレーター」が誕生したと確信をしたという。リーダーとかファシリテーターとかコーチとか教師とか生徒とかそういう役割や機能ではないというのは、生徒も参加した先生方も共感した。

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★強烈な体験の中で生まれた自分という存在理由。たしかに自分なのだけれど、それは自分だけの存在でない存在と響き合っている存在なのである。だから、その意味でのジェネレーターとオープンマインドで対峙すれば、自らの中にも共に響き合う存在が現れてくるのだ。

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★児浦先生はしたがって、自分をスーパーバイザーとは呼ばずに、スーパージェネレーターとしてBarazaデザインに専念した。そして生徒を生徒とは呼ばず、ジェネレーターのみなさんと呼んでいた。

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★それにしても、順天の理軒館という楕円軌道空間は、多様なディスカッションができる空間で、Baraza初体験としては、大いに力を生み出す支えとなった。

★ジェネレーターが、どんなアイデアやインスピレーションを先生方と生み出したのか、それはまた今度。

 

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2019年6月23日 (日)

【未来を創る学校17】本日、順天で「第1回未来を創る学校フォーラム」開催!新しい時代へ!

★本日、21世紀型教育機構加盟校の会合が、順天の理軒館で行われる。「第1回未来を創る学校フォーラム」というタイトルの会合。昨年は富士見丘の「第1回グローバル教育カウンシル」で、生徒の皆さんと教師が共に学び、好評だった。

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★今年は、生徒の皆さんがジェネレーターとして先生方と共に世界をどう創っていくのか対話する。その対話は、Roud SquareのBaraza方式で、シンプルに話し合う。このシンプルな場が、対話という潜在的な世界生成システムのスイッチを入れるのだ。 

★スーパージェネレーターは、21世紀型教育研究センターのリーダー児浦先生(聖学院21教育企画部長・国際部長・広報部長)。今回は誰かがジェネレーターというより、みなそれぞれジェネレーター。自分の強烈な体験を通して気づいた自分とは何かという価値ある存在理由を語り合い、未来を創る発想が膨らんで、世界を変えていく感覚が共有されるのではないか。

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順天、富士見丘、八雲学園、聖学院、静岡聖光学院の5校から生徒の皆さんが参加する。

児浦先生の人並外れた多面的な領域における生徒との交流との体験が、生徒の皆さんと先生方総勢40人とどんなコレクティブインパクトを生みだすのだろう。実に楽しみである。

 

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【未来を創る学校16】2つの聖光学院の挑戦!

★クアラルンプールに2つの聖光学院の生徒4人が着いて5時間くらい経ったところか。2つの聖光学院とは、静岡聖光学院と横浜の聖光学院。兄弟校のことである。昨年、静岡聖光学院は、マレーシアのマレーカレッジで行われた国際サミットに招待された。

★そのとき、日本の教育に危機感を肌身で感じたという。グローバルという意味を実感し、英語で広く深く考え、自らの存在理由を発信し、世界を巻き込んでいく人間力がいかに重要か気づいたという。そこで今年も参加することにしたようだ。

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(写真は静岡聖光学院のサイトから)

★そして、同行した副教頭田代先生は、この世界を一人でも多くの生徒に経験させたいと思い、生徒とともに行動を起こした。学内外で、サミットの様子を発信したりした。今回は、自分の学校だけではなく、兄弟校である横浜の聖光学院もいっしょに参加する。

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★「日本の代表として、我々が学ぶこと、我々が与えられること、そんなことを感じながら、共に未来を創造してこようと思います!」と田代先生は語る。活躍の様子がまた発信されると思う。注目していきたい。

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2019年6月22日 (土)

八雲学園を大きく変えたイエール大学が今年もやってきた!(後編)本物の教育の存在理由

★毎年訪れるイエール(Yale)大学のアカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫は、今年5月に同大学を卒業した学生のツアーである。このクラブの伝統であるが、たんなる卒業旅行ではない。米国のアイビーリーグをはじめとする有名大学は、なぜ有名かと言うと、伝統的に世界に影響を与え続けるミッションを遂行しているからだが、今回の世界ツアーもその一環である。

★そして、それが結果的に世界から優秀な頭脳を集める好循環を生んでいる。しかし、目先の自己利益や国益のみを目指したアドミッション活動ではない。もしそうだとしたら、世界から優秀な頭脳は集まらない。日本のトップ大学の東大などは、そういうことを考えないで、大学入試改革を否定する話題をメディアにのっかって行っているぐらいだ。細部は正しくても、大きな問題を解決するための未来を見ない日本独特の見識者集団。ここに私たち日本の限界がある。

★近藤校長は、八雲生にそうなって欲しくない。だから、自分がどこまで世界に挑戦できるのか、実際に中高時代に世界で試行錯誤する機会を創るのである。そして、日本のこの限界を超えて共に世界と歩める社会づくりに貢献して欲しいと思っている。思っているだけではなく、実際にこんなすばらしいイエール大学との国際交流を行う実践拠点を作ってしまったのだ。未来は自分たちで創ってしまえばよいという言葉は、近藤校長の日ごろの言葉でもある。

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★イエール大学の学生と音楽国際交流をするというのは、コンサート当日、決められた演奏出番の時間に八雲生が登場すればいよいというわけではないことは容易に想像がつくだろう。

★このようなイベントを行うには、1年間通して、メールで打ち合わせをしなければならないし、ケベックにRound Squareの国際会議に八雲生が出席する際などには、ニューヘイブン市のイエール大学に立ち寄り、アカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫のメンバーと日本ツアーのプログラムについてその魂の共有をしながら打ち合わせるところまでする。

★もちろん、メンバーがイエール大学のキャンパスツアーもしてくれるから、その魂はそのキャンパスに溢れていることに八雲生もすぐに気づくという。

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★そして、コンサート当日、午前中はリハーサルをいっしょに行うのである。

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★このリハをいっしょに行うには、当然英語で緻密に打ち合わせしながら、表情や身振りなど豊かに表現しながら行っていく。

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★これがいかに貴重で強烈な体験かは、想像するに難くないだろう。

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★しかし、実は、≪Whim'n Rhythm≫は、八雲学園に前日に入る。ものすごいタイトなスケジュールにもかかわらず、早朝から遅くまで、八雲生全学年の生徒と交流する。八雲学園も各学年で、日本文化体験、日本料理体験、ディスカッション、部活体験など様々なアクティビティやイベントを用意して歓迎する。

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★≪Whim'n Rhythm≫のメンバーは、疲れた顔一つせず、丁寧にコミュニケーションをとるし、吹奏楽部の演奏にのって歌うその響きはすばらしいし、軽音楽部とロックを歌う時はノリノリだ。

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★一日で、オール八雲生と共感という足場を創っているのだろう。それは、無意識で行っているかというと、そうではない。実はミッション遂行のためのプログラムの一環である。コンサートを成功させるには、ファンづくりをしなくてはならない。そのためには、ハートとハートのビートを合わせる必要がある。それを一日にしてつくりあげるのが、彼女たちのアートのなせる業である。

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★イエール大学をはじめとするアイビースクールなど米国の大学が、世界を変えるイノベーターやリーダーを多く輩出するのは、実はリベラルアーツとアートを大切にする。なぜか?もうおわかりだろう。世界を巻き込むにはこれらの力に勝るものはないからである。

★八雲学園のように、深い思考力(日本語でも英語でも)、リベラルアーツ、アートを大切にしている教育を行っている学校こそが、これから未来を創る学校となろう。どんなんに学力優秀人材を出しても、目先の事しか考えなない、リベラルアーツやアートを軽視する合理的な教育だけの学校では、日本の未来及び子供の未来を背負う人材は生まれない。小さな正義は達成できても、大きな正義は描けない人材ばかりになっては困るが、そういう権威者や見識者がなんと多いことか。

★八雲学園近藤校長は、だから自分たちで未来を拓く豊かでたくまし人間力が育つ教育環境を創り上げたのである。

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八雲学園を大きく変えたイエール大学が今年もやってきた!(前篇)

★6月18日、めぐろパーシモンホールで、八雲学園は、イエール(Yale)大学のアカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫と音楽交流コンサートを開いた。この交流会は、今年でもう7年目になる。≪Whim'n Rhythm≫の歌声は、毎年八雲生と響き合い、その響きは八雲の世界を変えてきた。今年もどんな影響を与えたのだろう。

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★7年前に八雲生は、彼女たちに出遭い、そのアカペラの歌声に魅せられた。私たちも英語でイエール大学の生徒と同じレべルで歌いたい。その想いがgleeというミュージカルのサークルを作る動きになった。

★なぜミュージカルかというと、来日したイエール大学の学生の中には、演劇やミュージカルを専攻しているメンバーも多く、歌というものが、身体全体から響いてくることに感動したからだという。今回もすでにブロードウェイに進むメンバーもいるぐらいだ。

★そして、サークルは大人気になり、あっという間に部活動になった。ミュージカルと言うと、いろいろなコスチュームに多様な道具でダイナミックに行われるのだが、今年は、初心に戻り、八雲生もシンプルにアカペラに挑戦。

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★堂々と、イエール大学の学生と“Dog Days Are Over”を歌った。GLEEとは、全米で大ヒットした高校学園ドラマ。すさんだ高校をグリー部という合唱部が輝かしく変貌させていくドラマで、もちろん、その過程で思春期特有のドラマが繰り広げられる。歌あり、ダンスあり、葛藤あり、もちろん、恋ありというわけだから、八雲生のglee部もすぐにヒートアップしたわけだ。

★英語を学ぶには、やはりこういう衝撃がモチベーションを燃やす。なんてファッショナブルで自由な学園なのだろう。

★その学園ドラマは、もちろん数々のヒットソングを生み出すのだが、“Dog Days Are Over ”もその一つだろう。なかなか味のある人生の難しさを悩ましくかつ美しいハーモニーとロックンロールのリズムで盛り上げる。それをアカペラで歌いきるのだから、イエール大学の学生は言うまでもないのが、八雲glee部も相当実力をつけた。

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★そういう姿をナチュラルに楽しそうにのびのびと歌っているのである。すばらしい!と何度心の中で叫んだことか。八雲学園の中に、エスタブリッシュなグローバルネットワークが人知れずシステムとして広がっているわけだ。

★そして、このイエール大学との国際音楽交流が、イエール大学に進む世界の高校生と同レベルになりたいという想いも生み出してしまった。その想いが結実したのが、Round Squareへの加盟である。このRSという世界のエスタブリッシュ私立高校のコミュニティからは、イエール大学をはじめとする世界トップ大学に多くの生徒が進む。

★八雲学園は、その環境にジョイントするために、3年間審査を受けた。それには英語力を破格にしなければならなかった。9か月留学プログラムを創って実行したり、エッセイライティングやディスカッションを積み重ね、模擬国連にも挑戦し、英語で深い思考と表現ができるようになるためのトレーニングンを徹底した。

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★加盟するには、一握りの生徒がそうなるだけではだめで、全校生がそこに立ち臨む必要がある。しかも、世界の学校は共学校がほとんどだから、交流を進めていくと、海外からの男子生徒も受け入れる環境も整えなければならない。

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★つまり、イエール大学と出会ってからの7年間は、八雲学園にとって共学化になるなど大きな自己変容の過程だったのである。

★当然、頭角をあらわす生徒もたくさんでてきた。Yale大学の同窓会が、世界各地の高校生の中から学業と人物に優れた者を表彰する『Yale Book Award』を受賞する生徒も毎年現れるようになったのである。

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★イエール大学の学生によると、イエール大学を選んだ理由は、アートコミュニティに感銘を受けたからとか、演劇に興味があったからとか、プロジェクトを協力して創り上げようとする意欲がすばらしいからとか、世界の著名な教授や有名なアーティストと歌う機会が多いからだという。

★分子生物学や電子工学を専攻している学生は、サイエンスを学ぶだけではなく、リベラルアーツも欠かせないからだと。

★そして、全員に共通する理由は、イエール大学は情熱であふれているということだった。

★YakumoとYale。2つのYは、教育の総合力と情熱という点で響き合う。運命的出会いは必然だったのかもしれない。

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2019年6月21日 (金)

英語改革の迷走?日本国家の政治経済政策が迷走しているのではないか?

★Wedge7月号で「英語改革の迷走」という特集が組まれている。中身は新しいものは何もない。うんざりするほど同じ話が掲載されている。

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★この類のテーマになると、民間試験は公平性が担保されないとかいう話が必ず出てくる。家庭による収入格差があるから問題だとか言うお話も。ちょっと考えようよ。その格差を生んでいるのは、グローバリゼーションの片方の側面である闇を生んでいる、日本国家の行政政策に問題があるのだろうが。グローバルなスタンダードに対応できない文科省の政策にあるのだろうが。格差を生んでいるのは、それを主張している東大も加担しているのではないか。

★自分だけは、東大や官僚の中で正しいことをやっている。学問の自治で保障されているのだと無責任な主張はいい加減にしてほしい。

★何が根源的な問題を考えよだ。根源的問題は、このままの教育だとよけい格差が生まれる日本社会になるということだろう。

★だからといって、大学入試制度が変われば英語教育も変わるというのを大真面目に語られても、教育とはそんなものでよいのかと思うのはおかしいだろうか。

★しまいには、英語の前に日本語で思考できることが大事で、4技能を学ぶだけでは、真の意味でのコミュニケーション能力は養えないと、およそ馬鹿げたことをいっている。日本語でだって真の意味のコミュニケーション能力が育ったことがあるだろうか。

★第一、思考力は日本語に限定されるのではないはずである。

★高校生は、とにかく国や知識人が言っていることを鵜呑みにしないで、自分で判断して欲しい。英語の勉強はインターネットの世界でやろうと思えば、いくらでもできる。格差なんて吹き飛ばせるのだ。

★たしかに、制度上明示されていない部分がまだあるし、バラツキもあって、困ってしまう場合もあるが、単純に英語力を4技能全部で学ぶことは必要なのである。バランスよくとは、すべて同じレベルで得意になるというコトではない。4技能を総合的に学んだほうがよいが、読解力だけが飛びぬけていてもよいわけだ。

★英語ができない私が、居直って英語なんてと不要と言っているのではない。むしろ、英語ができなければ、仕事ができないよと言っているのだ。大企業でも外資系に務めているわけでもない私でも英語を使わない日はない。

★経済世界や政治世界ではなく、生活世界でも、いや生活世界でこそ英語は必要だ。しかも簡単な英会話ではなく、かなり突っ込んだ話を英語でしなければならない。その時は、グーグル翻訳に頼むことにしている。しかし、それはロスタイムも多く、グーグル翻訳君の言語能力が直接自分にも備わっているよいと常々思っている。

★真のコミュニケーション能力が身に着くかどうかは、結果ではない。いまここで、真のコミュニケーション能力を発揮しなければ、どうしようもないのである。そんな先送りをいつまでしているつもりなのだ。そんなことだから、あえて外国の方とのコミュニケーションを避ける。それで、英語がなくても日本にいれば生活ができるとまことしやかなことを言っているに過ぎない。

★本当は、日本人とコミュニケーションとりたい外国の方はいまここにたくさんいるのだ。それを見ないようにしている日本人がまだまだ多い。

★あまりに英語の必要性を自己都合でとらえているのが日本の識者である。世界におけるコミュニケーション格差がどんどん開いていく社会。社会は対話の有機的なシステムによって成り立ているから、そんな格差が広がる日本社会のシステムは実に自己閉鎖的にならざるを得ない。

★この道に進めと民間英語試験を拒否している識者たちは主張しているのだ。おかしいのは、どちらなのか。

 

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希望の国のエクソダスの時代?(1)

★21世紀前夜、村上龍さんの「希望の国のエクソダス」が世に出て、衝撃的だったのを記憶している。最近出遭う中高生の中には、ポンちゃんに似た心性の人物がいて、おっ!これはと思う。もちろん、ポンちゃんのようにエクソダスを試みるというより、大人の世界と中高生の世界のこれまでの格差やギャップをフラット化し、新しいバランスを生みだそうという戦略上の違いはある。

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★しかし、そのギャップに何か課題を感じ、解決しようというアクションをしているところは、同じ心性だろう。このような中高生の存在の実態は、データ上はわからない。しかし、実態はかなりの人数がいるのではないか。

★大学入試改革や学習指導要領の改訂は、ここを無視している可能性がある。ときどき注目されるが、それはむしろレアケースで凄いという発信の仕方によって、このような事態は当たり前ではなく、特別なのだという幻想を蔓延させている可能性がある。

★あらゆる、日本の課題山積の事態を、この希望の国のエクソダスの側からみたら、まったく旧態依然としたやはり中高生がエクソダスしたくなるような課題解決策だらけということはあるのではないだろうか。

★しかし、どうしてこういう中高生のダイナミックな動きの兆しが生まれてきたのだろう。グローバリゼーションやネオリベラリズム、ポピュリズム、再帰的近代化、社会の個人化、シリコンバレー化などの複雑な矛盾だらけのシステム融合が、生み出したものであろうことは、たぶん誰でもわかるだろうが、その新しい生成は、どのような考え方で捉え直せばよいのだろうか。

★この方法論は、現状の社会学や政治経済学、国際関係学、情報科学、心理学、哲学、教育学などではとらえられない動きである。ここをどうとらえるか、その足場や立ち位置はどこにあるのか?

★誰と議論すればよいのか?おそらく中高生と対話する以外にないのだろう。大人や教育評論家からみた教育論はすべて役に立たないと捨てたほうが良いだろう。極端かもしれないが、その仮説から出発するしか突破口は出現してくれないような気がする昨今である。

★なお、このエッセイは、そういうわけで、特定の誰かに語りかけているものではない。新しい何かを求めて自分の想いをメモとして書き込んでいるだけである。

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2019年6月20日 (木)

工学院 保健体育が20世紀社会が失いかけた「生活世界」を取り戻す。

★工学院の保健体育はおもしろい。以前柴谷先生の授業を見学した際にも感じたが、今回濱崎先生の中2の保健体育の授業を見学したその想いは確信に変わった。

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★人間の生活世界である環境は、身体脳神経系全体に影響するし、人間の身体脳神経系全体は開放系であるために、環境に配慮する視点は大切。したがって、濱崎先生は、その視点を身近な生徒自身の生活世界の1つ、自分の教室から思い巡らすトリガークエスチョンを出した。気づいたコトをロイロノートでどんどん共有していった。

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★そしてその足場作りができると、3人チームをつくり、どのチームにもそれぞれ違うシチュエーションが設定された環境のクエスチョンが提供された。各チームは、その生活環境の状況を<解釈>し、問題を発見して、快適な環境をどう作っていくのか議論した。このクエスチョンの作り方は、東大の帰国生入試の小論文問題と同構造だった。

★さて、そこで普通はいよいよプレゼンテーションになるのだが、濱崎先生は、そこにさらなる創意工夫を加えた。

★各チームがプレゼンするはずのマナボードをシャッフルしたのである。つまり、他のチームが創ったプレゼンテーションの作品を再解釈して、さらにブラッシュアップするいくつかの視点を付け加えて発表するのだ。

★これは実に大胆なプログラムだ。クラスのメンバー同士が相当信頼関係を形成していなければできない。自分の意見にこだわり、他者の視点を取り入れることを拒否することもあり得るはずだからだ。

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★もちろん、濱崎先生は、日ごろの生徒の様子を非常によく観察していて、このプログラムが有効かどうか判断するのはかなり吟味したという。そして、思い切ってやってみて、今はよかったと思うと。

★これは≪アイデンティティ≫とか≪自分軸≫とか言われてきた教育言説の概念を思い切り転換する行為でもある。「自分へのこだわり」を形成して個人化された人間が、相互主観で形成される生活世界から離れてしまったのを、再びそこに人間を立ち戻らせる学びを工学院の保健体育はデザインしているのかもしれない。

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★そんなことを思い浮かべながら濱崎先生の授業を見終わって帰途についた。しばらく歩くと、次の時間の授業が始まっていた。そして、ふとその教室をドアから眺めると、工学院のヘルス&メンタルマネージメントをしている安芸先生による保険体育の授業が開始していた。

★やはり、PBL型授業が進行していた。テーマも、生活世界におけるヘルスに関する問題。

★工学院の保健体育の授業は相互主観性の信頼性をベースにする生活世界を生徒共に取り戻す大切な教育を生み出しているのではないだろうか。

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工学院 知識創造のシミュレーション 暗記しない知識

★工学院の中村先生の中1の理科の授業を拝見した。シダ類とコケ類の共通点や違い、他の植物にはない魅力について調べてプレゼンする授業だったが、調べてただプレゼンするわけではない。

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★「魅力」とあえて硬い理科的な考え方とは対峙する表現を使ったのは、調べた事柄を「ポスター」に表現する作業をまずしたからだろう。シダ類とコケ類を調べるグループを大きく2つに分けて、さらにチームにわかれて調べてポスターにしていく。

★シダ類を調べるグループは、コケ類を調べない。逆もまた然り。なぜそんなことをしたかというと、情報を有している方が情報を有していない相手に教えるというペアワークをするためだ。

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★そして、プレゼンして情報共有した後、もっとこういうことを調べた方が良いとか、ポスターのデザインはここの工夫が必要だとかリフレクションやフィードバックを行う。

★シダ類とコケ類の違いや共通点はテキストに書いてあるし、そのページを暗記すればすぐに終わるではないかと硬い理科的な考え方をする方はすぐに思うだろう。しかし、中村先生のように柔らかい理科的な考え方をする先生は、暗記ということをあまりしない。

★しかし、知識は大切なのだ。では暗記しない知識とはどういう意味があるのだろう。

★授業終了後、中村先生と少し対話をしたが、やはり知識に対する考え方が、硬い理科的な考え方とは違い柔らかいのである。中学生にとっての理科の知識と私たち大人の理科の知識とでは、未知と既知の違いがある。

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★大人も新しい事象や現象に直面した時、それを知ることによって新しい知識を体得するし、場合によっては新しい知識を創造する。

★中学生にとって、大人にとって既知のモノでも、未知である場合、まさにその知識創造と同じ過程をたどるのではないか。こうすることで、知識を、名称の部分だけではなく、その背景にある知識の有機的な諸関係として丸ごとゲットできるという。

★今後、工学院にとって、知識とはこのような知識創造のシミュレーションとして位置づけられるかもしれない。

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工学院 もう一つのSTEAM

★工学院のベッキー先生のハイブリッドサイエンスの授業がファッショナブルである。私たちが、太陽からゲットするエネルギー量を測る授業を拝見した。

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★生徒は、まず紙とアルミホイルで、「太陽ロウト」を作り始めた。オールイングリッシュで行われているし、日本人の先生がアシスタントでついているわけではないので、細かいことは生徒に尋ねながら見学した。

★「太陽ロウト」で太陽光を集めて水を温める装置を作っているというのだ。なんておもしろい発想だろう。教務主任の田中歩先生も見学しに来ていて、「本間さん、これが工学院のもう一つのSTEAMですよ」と教えてくれた。どういうことかと少し考えながら見学していると、なるほどなあと。

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★実験装置を考案するというのは、ある意味テクノロジーを創るというコトだし、時間と温度の関係のデータを集めることはリサーチであり、そのあとエネルギーの関数に入れてエネルギー量に変換していくというこの全体システムの考案はエンジニアリングであり、数学であるが、この身近なものを装置に変容させるアイデアはたしかにアートである。

★この一連の行為に、科学的な要素、テクノロジー的な要素、エンジニアリング的な要素、アート的な要素、数学的な要素が統合されているサイエンス授業はたしかにSTEAMの基礎的な思考様式を学ぶことができる。

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★工学院のSTEAMというと図書館など複数個所に開設されているFAB Labスペースで、3Dプリンターで制作物をつくることだと思いがちだが、基礎的な考え方は授業の中でも行われる必要がある。創る行為と考える行為のカップリングがなされているのが工学院のSTEAMであり、それがしっかり実践されているのに感動したが、それがさらにオールイングリッシュで行われているのに驚きが走った。もちろん、ハイブリッドサイエンスコースの話であり、ハイブリッドインターコースの話ではないのである。

★授業を見学したのだから、フィードバックをするのは、礼儀なので、グーグル翻訳で次のように英語にしてメッセージをおくった。

≪It is a wonderful lesson to find out the energy in nature and verify it with formulas through creating a simulation device. It is a lesson design that contains all the thinking skills.≫

★もはやアレクサは欠かせない時代だ。

 

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