2024年9月13日 (金)

幼児教育の新たな展開 みずき野幼稚園の挑戦 

★2022年7月、文部科学省は「中央教育審議会 初等中等教育分科会 幼児教育と小学校教育の架け橋特別委員会」を設けて、人口減に備えるためにも日本の未来の人材の質を幼少期から考えようという政策を展開しています。もちろん、否定はしませんが、人間というのは、生まれる国を選べません。だからといって国のための人材ではありません。よりよい社会をつくろうとしたとき、その国がよりよい社会になろうとしないどころか、真逆の場合もあるのは、毎日世界の情報が流れているのを見聞して了解できるはずです。だから、国の前に一人ひとりの人間なのです。

★しかしながら、この当たり前のことについて私たちが身に染みて理解できるのは、幼子を目の前にした時なのです。私自身、2つの国籍を持っている4歳の孫を目の前にした時、国の前に、まず孫自身がどのように育っていくのかであって、どちらかの国に合わせた人間力を身につけてほしいとは思えません。子供と教育の根源的な在り方について、これほど純粋に考えられるのは幼児期の教育です。そして、それを忘れない初等中等教育をいかにつくっていくか、結構本質的な問題がまだまだありますね。

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(写真は同幼稚園サイトから)

★そこにいくと、内田真哉理事長のみずき野幼稚園は、子供一人ひとりの人間の在り方が根っこから生み出されていく環境が充実しているし、日々新たなりなのです。

★子供たちは、部分から全体ができあがっていくように育つわけではないというのが、内田先生の考え方なのでしょう。孫をみていていつも思うのですが、立派に意志を持っているし、欲求を満たすために主張もするし、作戦も立てます。その遂行の技術の拙さや、言葉もまだまだです。ですが、もうやりたいことをやりぬこうとするし、邪魔されれば抵抗もします。だからといって、わがままかといったら、そんなことはありません。

★普段甘え切っている母親に対しても、母親が具合が悪いときは、いたわります。それはいたわる道徳的な目的ではなく、自分を大事にしてくれる人が具合が悪いと、自分にとって居心地が悪いからなのかもしれません。

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(内田理事長自ら窯をつくっています。同幼稚園サイトから)

★しかし、その感覚や感性の価値の重みづけは、無自覚ではなく、意外と自覚しています。ただ、言語化はうまくできないだけです。言語化できないから無意識とか無自覚とかそういうことはありません。むしろ、こういう人間の本来的な在り方を見逃して私たちは大人になり、無自覚とか追う言葉で、大事なものを勝手に忘却しているのかもしれません。

★みずきの幼稚園では、子供たちは環境と多様な手段でコミュニケーションをして、そこからおもしろいことやりたいことを全身で受けてめていきます。その環境として畑や花壇や園庭やなんと窯など内田理事長をはじめ先生方はデザインしていきます。

★そして、先生方はそういうデザイナーだったり、環境を配置するファシリテーターだったり、子供の健康やメンタルなどのサポーターだったり、イベントのプランナーだったり、陶芸家だったり、保護者にのメンターだったり、マルティロールプレイをします。

★文科省の先のワーキンググループは、資料にこんなことを書いています。「認知能力とは知的な力で、知識・技能、思考力等を含む。非認知能力は、意欲・意志、自覚し見渡す力、人と協力する力等を含む。乳幼児期・学童期・思春期を通して育つ。認知と非認知は相互に関連し、支え合って育っていく」と。たしかにそういう面もありますが、このモデルは、常に元気な子供の様子しかとらえきれてないのです。子供は必ずしもいつも元気なのではないのです。エネルギーが切れて不機嫌になることもあるし、おなかがゆるくなることもあります。そこで子供が体全体で表しているものは、認知能力とか非認知能力とか要素還元的なものではないのです。

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(2019年ころの聖学院でいっしょにワークショップをやっていた時の写真。このころからU理論やEQなど議論していました。左から内田先生、児浦先生。両先生は、それぞれ幼稚園と大学で子供たちといっしょに未来を生み出しています。)

★元気が良いときもそうでないときも連続した存在全体です。それを丸ごと受け入れ、その存在の在り方全体が一人の子供にとって無限の価値を生み出すあり方になてっくれればという同幼稚園の先生方の想いが、忙しい毎日の中でEQの研修を行うことにまでつながっています。

★幼稚園の教育を内田先生方と多くの人が学ぶ時が来たと思います。多くの中高大学の先生方もその学びに参加してほしいと願います。根源的な領域を再び経験するために。

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桐蔭中等教育学校 「新しい進学校」というパラダイムシフト完成 そしてさらにブラッシュアップ

桐蔭中等教育学校の玉田裕之校長による2025年中学入試説明会の動画が公開されています。2018年12月に当時の岡田直哉校長からお聞きした「新しい進学校」へのパッションが、ついに実現したと感動しました。

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(写真は首都圏模試センターから)

★同校は、

1)アクティブラーニング型授業×探究×キャリア教育という学びの新しい統合を果たしています。

2)この3つの循環が、6年間通して学びのストーリーを描いています。

3)そのストーリーは、世界に視野を広めるマインドとスキルを生徒が獲得し、その能力を地域の未来都市構想に活用し、最終的には自分のやりたいことの課題に絞り、解決の仮説を立て、データサイエンスに基づいて数理モデルも活用しながら論文やプレゼンをしていく生徒1人ひとりの成長物語のサポートプロットにもなっています。

4)したがって、大学に合格することがゴールではなく、社会の在り方を構想し、それを実現するために自分がどのような使命や役割を果たしながら生きていくか人生のトランジションが描かれる新しい進学校となっています。

5)何より、この「進学校から新しい進学校へ」へという学内パラダイム転換を学内の先生方が全員で意識しています。そして、そのことが日本の教育のパラダイム転換に対し社会的インパクトを果たす人間力を身につけた多くの卒業生が羽ばたいていくというコンセプトが明快で、それが今年度の共学一期生が証明するという段階に来ています。

★神奈川エリアにおいて、まだまだ進学校型学校が多い中、桐蔭中等教育学校は、新しい進学校へ誘うプロトタイプリーダー校です。

★まだ、リサーチができていないのですが、この同校の新しい進学校のストーリーをコアプロトから弾けるように創造的に生徒が成長していくには、ルーブリックができあがっているからです。

★おそらく、世の中が新しい進学校に変われないのは、このようなルーブリックがないからです。新しい進学校に変化している登校の学校では、それぞれ独自のルーブリックを持っています。

★世間がここに気づくにはしばらく時間がかかりますが、生成AIがこの問題を解決してしまうのもそう遠い未来ではありません。おそらく桐蔭中等教育学校は、その開発も進行していると思われます。同校の9つのターゲットをベースにしたルーブリックは国際比較ができるように仕上げられているからです。

 

 

 

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2024年9月 9日 (月)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(07)新しい物語を創る生徒たちのキャリアデザインへシフト 気を付けて、終焉したはずの大きな物語がゴーストとして闊歩しているライフデザインはまだ残っている

★今日は、昭和99年9月9日。来年昭和100年を記念するイベントがあるという。それは終焉したはずの大きな物語の残骸からようやく解放されるということを祝うのか、それとも大きな物語を懐かしむのか、それとも大きな物語の昭和の歴史に冷静に学ぶのか・・・いろいろな意味があるのだろう。

★ここ数日、そういう時代の変わり目ということもあってか、企業人が、このままだと日本は滅ぶとかなんとかメディアを騒がしている。今の幼児から30代までの人々がどんな社会を創ろうとしているのか?そのような社会が滅びるのか、彼らの才能を全開するのを抑えてきた日本社会が滅びるというのか、それは定かではない。しかし、こういう議論が出てくること自体は大いに歓迎である。

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★「大きな物語」とか「小さな物語」とかいうレトリックは、フランスのポストモダニズムの現代思想から生まれてきたらしい。哲学的にどう解釈されているのか、それは学者に頼るしかないが、一般市民としては、果たして、その大きな物語は本当に終焉しているのかどうか疑わしい。ただ、一方でハラスメントリスクに対して、こんなにマネジメントしようという動きは、たしかに終焉という意識から生まれていることも確かだと思う。ジェンダー問題に対しての解決に動き出しているのも同じだろう。

★たしかに、終身雇用的な抑圧的な社会を、ライフシフトや働き方改革で共感的共生的社会に変えようという小さな物語がいっぱい生まれているのも事実だろう。しかし、一方でそう言っていながら、大学受験となるとまだまだ大きな物語の残骸というかそのゴーストに囚われているケースもみられる。文系・理系というのは大きな物語の残骸なはずだ。

★しかし、いまだにそのゴーストに囚われている。自分のやりたいこと=〇〇学部というのは、その極限であり、ゴーストが微笑んでいるのに気づかない。大きな物語は一見姿を消したが、小さな物語に微分化することによって、ゴーストは姿を現すことなく結局は大きな物語に積分するのだと微笑んでいる。

★かくして大きな物語の方程式はゴーストとして目に見えない。大事なものは目に見えないと言うが、最悪なものも目に見えないのだ。

★この大きな物語の方程式を新しい物語の方程式に転換しようとしているのが、幼児から30代の人々だ。もちろん、世代で輪切りは出来ない。年齢に関係なく、新しい物語をイメージしている人々はいる。

★しかし、実際に22世紀社会を現実的に創るのは、30代までの人々だ。彼らがゴーストに囚われないような新しい物語を描こうとする環境をアフォードする役割は、40代以上の人々は多少責任がある。

★自分のやりたいこと。それは大いに結構だ。しかし、その自分は新しい物語を描く自分なのか?それとも大きな物語のゴーストに囚われている自分なのか?

★中世に生まれた大学システムはいかに変容してきたのか?あまり変わっていないという考え方もあるし、普遍的な学問の場として変わる必要がないという考え方もある。でも、そのどちらでもない場合、新しい物語のキャリアデザインにシフトする大学(それが大学なのか呼び名は違うかもしれない)が現れてもいいかもしれない。

★そして、それはすでに着々と現れている。まだ日本の従来の大学にはそれはない。新しい動きは海外からやってきているし、日本も別の場所から動き出している。

★中高生のみなさん。みなさんは、自分の中から生まれる無限の価値を信じて欲しい。あるときは文学を学び、書を綴り、あるときは医療従事者になって公衆衛生で活躍し、あるときは教師として次代をさらに解放する。一人で何役でもできる時代が2050年にやってくる。というかそうするのが皆さんだ。

★みなさんの人生を一つに決める必要は何もない。もちろん、一つを一心に追究するもよし、多様な道を歩いてもよい。それを決めるのは、皆さん1人ひとりと皆さんが創る新しい物語を共有するコミュニティだ。1人ひとり10人の仲間とコラボする10人プロジェクトにチャレンジしてもらいたい。10の十乗のエネルギーはものすごい。もちろん、その10人プロジェクトは同窓会レベルではないけれど。

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AI社会だからこそ精神の時代(03)駒沢学園女子 時空を超える美しくも凄まじい無限の価値を生み出す教育

★駒沢学園女子の校長土屋登美恵先生と桜美林の校長堂本陽子先生の対話に立ち会ったとき、私たちがふだんリスペクトしている建学の精神のさらにルーツの話が語られました。1985年くらいから興隆している中学受験ですが、そのマーケットがいかに大事なものを見落としてきたか猛省を迫られる衝撃的な時空を超えるパースペクティブが広がったのです。

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(写真はノイタキュード代表北岡氏撮影)

★駒沢学園女子の創立者山上曹源は、桜美林の創立者清水安三と同様、大正デモクラシーを共有体験しています。インドに渡り大いに学び、日本に学としての仏教を根付かせた学者の1人です。そしてイギリスの植民地政策との戦いの最中で学んできたのです。今でいうグローバル教育の上を行く超リアルなグローバルリスクをいかに解決するのか。凄まじい学びです。

★2027年大きく教育界が変貌をとげるとき、駒沢学園女子は100年の創立を迎えます。そのために、土屋校長のリーダーシップは美しも凄まじいわけですが、その山上曹源は、2000年をはるかに超える紀元前からの釈迦の価値観を今に伝えているわけです。

★そして、それを未来を描く目の前の生徒に引き継ごうと駒沢学園女子は日々美しくも凄まじい外から見ていてはわからない劇的なる生徒の日々の生きざまにいっしょに寄り添っているのが先生方なのです。

★この2000年を超える価値の無限さをさらりと土屋校長は語るのです。あまりに衝撃でした。

★人間が生成する価値はなんて無限の力を持っているのか!偏差値の価値や学歴の価値など塵のごときです。

★しかし、土屋校長は、価値に大きさはない。生徒1人ひとりが見出すその小さな価値に時空を超える無限の価値を感じる学び舎が駒沢学園女子なのだと。

★AI時代。どんなにAIが情報を集積してしても、この2000年を超え、さらに未来に続く無限の価値創造の人間の精神性を超えることはできるだろうか、できるはずがないと確信した瞬間でした。その無限の価値をシンプルな言葉と想いと思考と行動に変容する、もしかしたらこの永劫回帰というか輪廻というかそういう一人の生徒から生まれる無限の価値の循環。

★それが何十億という多様な日々との内側で循環回し、それがさらに融合していく大きな循環になっていく。そのイマジネーションはあまりに衝撃的で小さな自分をふっとばしました!ウェルビイングが訪れる瞬間とはこういうことなのかもしれません。

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2024年9月 8日 (日)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(06)児浦准教授のEUU構想に希望

共愛学園前橋国際大学の児浦准教授の講義を拝見したりゼミの生徒のみなさんとお話できる機会を得たりして、大学と自治体(南牧村)と民間セクター、行政セクター、非民間セクターのコラボレーション型都市創りに希望を感じたことについては、以前本ブログで取り上げました。今回改めて、児浦准教授が白石克孝教授・ 西芝雅美教授・村田和代教授が編集した「大学が地域の課題を解決する(2021年 株式会社ひつじ書房)」をSNSで紹介していたのを読んでみて、やはり私の確信通り、児浦准教授のチャレンジは、共愛学園前橋国際大学による独自のチャレンジであると同時に、西芝教授が行っている「社会に関与・貢献する都市型大学(EUU:engaged urban university)」づくりに重なっていると感じました。

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★同書の中で、CBL(コミュニティー・ベースド・ラーニング)の要素として次のように8つあげています。

1.実質的な学習効果と有意義なサービスを生み出すのに十分な期間と適度なエンゲージメント活動

2.学習目標とプロジェクト目標の合致

3.系統だった組織的プロセス

4.学生、教職員、コミュニティのメンバー、および関連機関が互恵的(共創的)に協働する事で、共通の目標を達成し、またパートナーのすべてが能力を高める

5.学生が「公正性の観点」から物事を見る見るように指導する

6.教科の学問的学習目標達成に、少なくとも市民学習目標を加え、出来ればその他の学習カテゴリー(例えば、個人の人格形成、専門能力の養成、異文化対応能力、調査研究における倫理観の育成、研究能力)も加える

7.学びを生み出し、より良い実践を目指し、市民としてのアイデンティティを養成する事を念頭に置き、授業での体験を批判的に省察する

8.幅広く成果を評価する(白石克孝; 西芝雅美; 村田和代. 「大学が地域の課題を解決する 」(p.54). 株式会社ひつじ書房. Kindle 版)

★児浦准教授はさらにスタートアップ的な要素も加えていますが、重なるところもあります。「前橋×国際」の意味に改めて感じ入りました。

★また、児浦准教授とご一緒させて頂いてきた21世紀型教育機構で行っている中高段階でのPBLもこのCBLにきちんと接続することができるなという予感がし、今後の中高大連携の道がはっきり見えました。これは「希望」です!

★さらに、私事ですが、私の居住地の二子玉川もまた西芝教授が行っているポートランド州立大学のこのEUU実践が必要です。二子玉川は、楽天の移転と東急ライズが開発するまだまだエンゲージド・アーバン・コーポレーションの都市ですが、少なくとも私立中高一貫校が近隣に集積している場です。どこか協力的で強烈な大学が二子玉川でEUUができるといいのですが。共愛学園前橋国際大学と成城大学などがコラボしてやってくれるとありがたいですね〈微笑〉。

★というのも、成城学園ー二子玉川ー田園調布は国分寺崖線庭園都市なんです。最後の国土計画五全総のメインモデルはこの地域です。渋沢栄一―五島慶太の田園都市構想の継承だったのです。それは、多くの市民は気づいていませんが、意外と日常の中に取り入れられています。ただ、土日の多摩堤通りから玉川高島屋近辺にいたる渋滞は、とても環境にやさしい田園都市という感じではないですから、今では幻の田園都市構想でしょう。

★それでも、二子玉川はポートランドと新しいエコシティーの交流を開始しています。ポーオランドの都市景観は、スケールは違いますが、二子玉川にも似ています。ポートランドの日本庭園は、策定者は京都の造園家ですが、その修復には隈研吾さんがかかわったそうです。

★田園都市構想のモデルになっている日本庭園は、京都庭園ではなく、大名庭園です。この庭園と学校誘致とプレミアム住宅街をつくったのが五島慶太率いる東急電鉄ですが、それは今も継承されている構想です。

★渋谷が開発され、ヒカリエの向かい側に、渋谷スクランブルスクウェアというビルが建っています。その15階に渋谷QWSという新しい知の拠点があります。東急とJRとメトロが出資しています。今後世界の70%は都市化するといわれています。問題はユートピア都市にするのかディストピア都市にするのかですが、渋谷をユートピア都市のモデルにしようと、産学共同プロジェクトがその拠点からたくさん生まれています。

★たぶんこの渋谷QWSには児浦准教授もなんらかのカタチでかかわっていると思います。

★歴代の首相や岩崎家、高橋是清、五島慶太、森村家がこの二子玉川の国分寺崖線上の大名庭園型の別荘で、この田園都市構想を着々と描いていたのです。ただ、大学がまだ主体的ではないので、これからが希望ですね。

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AI社会だからこそ精神の時代(02)桜美林の美しく凄まじい信念の源 小泉郁子

★島根県出身の小泉郁子。まさか小泉八雲の親戚かと思いましたが、それは違うようでした。しかし、どこか重大な発見をしたような気がしました。そこで、ググってみると、お茶の水大学賞の1つとして「小泉郁子賞」が2016年に設けられていました。男女共学論における偉大な功績と桜美林設立という実績をもった私学人であることが高く評価されていたのです。

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(ノイタキュード代表北岡氏による写真)

★先日、桜美林で同校の堂本陽子校長と駒沢学園女子の土屋登美恵校長の対話に立ち会ったとき、当然建学の精神の話になりました。清水安三の信念を聞きましたが、実は共に桜美林を支えてきた清水郁子についてもチャペルに移動する際に話題になりました。

★大正デモクラシーのときにすでに平塚らいていなどに影響をうけていたし、あの「児童の世紀」を出版していたエレン・ケイの男女共学論にも共感していたようです。もちろん、エレン・ケイの自由過ぎる結婚観などには与できなかったようです。1922年からオーバリン大学で学んでいますから、1919年に米国が婦人参政権を認めるという衝撃も影響していたでしょう。

★戦後GHQの教育部に呼ばれて、男女共学論の旗手として、教育部の顧問に誘われました。しかし、桜美林を立ち上げたばかりですからこの招聘は辞退したそうです。その後成立した教育基本法にどれだけ影響があったのか定かではないようですが、当時の私学人の河井道(恵泉創設者・教育基本法成立のための教育刷新会議の委員)ともプロテスタントの仲間として精神的交流はあったでしょうから、影響を与えなかったはずはありません。

★なんといっても、ヴォーリーズの妻は、津田梅子や河井道が学んだプリシモアカレッジに留学していました。当時の日本で同じ海外大学の同窓生がつながっていないはずはありません。そしてヴォーリーズこそ清水安三に大きな影響をあたえたその人だし、清水安三がメンタムの販売権を中国で使うことを認め、その資材で中国で教育活動ができたということのようです。

★堂本校長は、静かに、生徒募集も大事ですが、そのために桜美林は共学を続けてきたわけではないことはお分かりいただけるでしょうと。堂本校長もまた清水安三が学んだ同志社大学のOGです。創設者夫妻の美しくそして凄まじい信念を引き受けています。

参考文献)武庫川女子大学大学院教育学研究論集 第7号「日本における男女共学論の歴史と背景 -小泉郁子の思想-小稲 絵梨奈」(2012年)

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2024年9月 7日 (土)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(05)ルトガー・ブレグマンの考え方も参考にして進む

★「ユートピアの描かれていない地図など一見の価値もない。いつの世にも人間が上陸する国がその地図には載っていないのだから。人間は、その国にたどり着くと、再びはるか彼方の水平線を見据え、帆を上げる。進歩とは、ユートピアが次々に形になっていくことだ。 ──オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇)」

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★このワイルドの引用は、2017年にルトガー・ブレグマンが発刊した「 隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 」(文藝春秋)の最初に出てくる言葉。ルトガー・ブレグマンは、オランダの歴史家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家で、本書はベーシックインカムの導入、労働時間の短縮、富の再分配、国境の開放などを提唱している。大学の学者ではないが、独立研究者といった感じで、これらがどのように実現可能であるかを歴史的な事例や現代の研究をもとに冷静にかつ熱く語っている。

★ルトガー・ブレグマンは、人間の本性をわりと性善説的にとらえているようで、それゆえユートピアを創るのは難しくないと。ただ、新しいリアリズムという感じで、ワイルドの言葉を引用しているのが気になっているわけだ。

★本書は邦訳書では「隷属なき道」というタイトルがついているけれど、原文では“Utopia for Realists:And How We Can Get There”。翻訳者は、このタイトルを見事に圧縮しているのがすごい。

★しかし、直訳的にみてみると、このフレーズとワイルの言葉で、本全体を圧縮しているのがわかる。しかも目からウロコという衝撃がコンパクトに収まっている。トマス・モアが500年以上も前に「ユートピア」を発表してから、バウハウスや日本の民藝運動にまで影響を与えたウイリアム・モリスのユートピア論など、多くの論者が描き続けている。そして、それに対してディストピアが対抗軸として常に出てくる。

★この二項対立を解決する方法をルトガー・ブレグマンは提唱するのだということが、タイトルとワイルドの言葉に込められているのではないだろうか。新しいリアリズム。ユートピアを追い求めつつではなく、ユートピアを地図に描きながら、それを常に現実のものにしていく。そして再びその向こうにユートピアを描く。

★36歳のルトガー・ブレグマンの挑戦。私の周りにもたくさんの30代から40代前半のルトガー・ブレグマンがいる。教育関係者はユートピアよりディストピアの論調を好む。その方がリスクマネージメントをしているぞ、コンプライアンスを遵守しているぞという雰囲気になるからだろう。しかし、それはゴーレム効果を増幅する。

★つまり、それは挑戦しないことも意味する。ディストピアとは、悲惨の状況を生み出していること自体を指すのはいうまでもないが、その状態と真逆の状況を作ることに挑戦しない状況もまたディストピアである。

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2024年9月 6日 (金)

AI社会だからこそ精神の時代(01)桜美林と駒沢学園女子両校長の対話の美しく凄まじい信念

★本日桜美林中学で同校校長の堂本先生と駒沢学園女子の校長土屋先生の対話に立ち会いました。キリスト教と仏教の両教育の大切にしているものは、もちろん世界宗教としてスクランブルしています。その気高いそして超絶リアリスティックな精神を生徒が内なる光とすることがどんなに大事なのか、AI社会だからこそ、そこが再認識されるという両校長の快活なそれでいて凄まじい信念に脱帽でした。

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(左から、土屋校長、堂本校長)

★いずれ、6000字くらいでまとめてご報告しますが、日常の教育活動と礼拝堂や坐禅堂での活動がつながっていつつも明確に違うことに気づかされ空間の重要性にこんなに感動したのははじめてでした。

★GAFAMをはじめとするAI社会を牽引する巨大企業が、マインドフルネスや哲学コンサルタントを必要とする理由が、キリスト教と仏教の両教育が交差する対話を通して体内に響き渡ってくるのです。

★いずれにしても両校の創設者は、中国やインドで活動をしていたのです。その時代は戦争と植民地の時代です。今もウクライナやガザでそのような悲惨な状態が続いていますが、両創設者は、まさにそのような渦中の中で、子どもたちの未来のために教育活動を出動させたわけです。現在未来社会のための教育改革だとそんな精神性に関係なく浅薄な言葉を発している人々とは信頼性も正当性も妥当性もそれらの本物の度合いが違いすぎます。

★インターナショナルな闘争から境界線のなかい心の平和を軍事力でもなく経済力でもなく、教育力で勝ち得ようとしたわけです。この凄まじい信念、堂本先生は「隣人愛」と語り、土屋先生は「慈悲」と語りますが、その精神性は、あの京都大のアドバイザーになった若き俊英である哲学者マルクス・ガブリエルは、精神性を超えた精神性であると示唆するものだと気づきました。

★今の自分を超える自分、今の世界を超える世界を見出し続ける自己との対峙を礼拝堂や坐禅堂で行うのだというのです。

★もちろん、それは生徒1人ひとりの心の空間の中に礼拝堂や坐禅堂が転移するのです。ですから、どこにいてもどんな困難にあっても、その心の礼拝堂や坐禅堂が自分を照らします。そこに絶望を見るのではなく、未来への道を切り拓く自分を見るというのです。

★WHOはそのような精神を最近はスピリチュアリティと呼んでいます。ウェルビイングになるには、身体の健康、メンタルヘルス、対人関係の健康だけでは足りない。スピリチュアリティが必要だと、保健の教科書では、生きる価値といった趣旨の言葉を訳語にあてています。

★世界が気づき始めました。桜美林や駒沢学園女子のような精神を養う教育力こそ、この複合的な世界リスクを回避し、世界の平和心の平和をもたらすことなのだと。

★この教育力の本質や根源的な精神を実に軽んじてきたのが、日本の近代教育だと、教育基本法成立の時の座長南原繁(東大総長)は語りました。彼は新渡戸稲造や内村鑑三の弟子です。新渡戸稲造の弟子である河井道(恵泉の創設者)も南原繁と共に戦後の教育基本法を成立させるときのメンバーでした。

★実は駒沢学園女子の校長土屋先生の母校が恵泉です。なるほど、キリスト教と仏教の共通点と違いを堂本先生と美しくも凄まじい信念を響かせながら深い対話を行えたのはそういう理由があったのでしょう。

★AI社会だからこそ精神の時代なのだと強烈に実感しました。

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2024年9月 5日 (木)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(04)工学院・聖学院・文大杉並 世間から見えない次元の教育をしているワケ

★工学院、聖学院、文大杉並(五十音順)の3校は、塾やメディアなどを含む世間からは見えない次元までの教育を実現している。もちろん、21世紀型教育の牽引校で、海外大学もたくさん合格しているということは世間から十分に見えている。しかし、3校を選ぶ受験生や保護者はそれ以上のsomethingを感じ取っている。

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★東大や経団連が提唱していることも2030年社会から2050年社会の次元だから、世間はそこも見えていないが、それ以上の次元の教育を行っている3校の本質的で根源的教育はなかなか世間には見えない。

★本来メディアやジャーナリストはそこを見抜いて、その意義や重要性を語り、時代を超える天才B3C3のポジションに現れる個人を見つけるはずだ。学校にかかわりなく、そこに現れる個人はいるものだ。しかし、この複合的リスクの時代、1人その天才児だけが活躍するわけではない。

★あの20歳でなくなったガロアは数学を超える数学を発想した天才で、今もその発想は拡大している。しかし、それにはガロアと共感共鳴共創できる精神と技術のある人材をたくさん生み出す学校が必要なのだ。

★その学校の象徴が工学院、聖学院、文大杉並である。ガロアがどんな偏差値があったというのだろう。計算が苦手だったというから、とても開成学園には合格できなかっただろうに(微笑)。

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2025年中学入試 次の次元に進む私学(07) 国士舘と北豊島 プレゼン型入試

★人気が出ている国士舘と北豊島。建学の精神も違うし、共学校と女子校の違いもあります。それぞれ特徴をもった私学がそれぞれ人気があるということは極めて重要な学校選びの視点を受験生・保護者が持っているということを示唆しています。とはいえ、両校は、ある特別な点で共通しています。それは時代を超える教育を行っているということなのです。

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★近未来がAI社会になろうとその社会も超えて重要な人間の精神と技術があります。それを両校は有しているのです。国士舘は、吉田松陰の思いと行動力と若き人材の才能を開花させる教育力の継承学校です。

★北豊島は、遠くプラトン以前から欧米で継承されているリベラルアーツを学校全体に浸透させています。このリベラルアーツの発想や言動力ももまた時代を超えて本質的な人間の精神と技術です。

★この両校のアプローチは違っても、時代を超えてあり続ける本質的な人間の軸を形成する教育力に共感する受験生。保護者の存在は中学受験市場が健全であることの証でもあります。

★そして両校は、入試においても共通する点があります。それはプレゼン型入試を設定している設定です。海外の多くの大学で、口頭試問が行われますが、日本の大学も、このタイプの入試は増えていきます。生成AIの出現がそれを加速させるでしょう。

★ダイレクトに受験生の思いと活力と行動力がわかるからです。このような精神と技術の資質能力があれば、6年間通して大きく成長するのは実は火を見るより明らかなのです。それは学校の先生ならば、だれでもがわかっています。大企業の経営陣もわかっています。

★大量生産・大量消費・大量移動型の時代に有効だった大学入試のあり方は、もはや変わらざるを得ません。

参照)首都圏模試センターサイトの記事

 国士舘中学校 夢なき者に成功なし 精神的柔軟さと確固たる土台(1)

【北豊島中学校・高等学校】3つのプログラムが誕生!「社会で活躍できる女性の育成」

 

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