2021年4月10日 (土)

非属の才能教育(10)時を創るということは自分を少しずつ変え続ければよい ヘッセから学ぶ

★勤務校は、中高一貫校ではなく高校。生徒と日々出会いながら、遠く50年くらい前の自分を思い出します。下宿をしながら、先輩後輩と食し、学校に行き、帰ってきてからは、よく対話しました。学校から徒歩5分もかからなかったので、自宅から通学している友人もよく泊まりに来ていました。同じ日本人でも価値観も行動も違っていました。そのときは、互いに価値観が違うということを受け入れるよりも、自分の価値が正しいという暗黙の想いで、みな議論をしていました。まさに青春時代でした。

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★今のようにスマホもPCもましてインターネットもありません。娯楽と言えば読書でした。国語は、今でいうビブリオトークでしたから、漱石の前期三部作について読んで、好き勝手な意見を交わす授業でした。基本三角関係の話に集中しますから盛り上がっていました。

★倫理社会も、哲学者のビブリオトークでした。ソクラテスの弁明について担当だったのは今でも覚えています。いくつかほかの作品も読みましたが、平易な対話の割には、読み方がわからず、パートナーと苦労したのを覚えています。

★当時は、吉本隆明全盛時代だったので、左翼的な先輩たちと応戦する武器としてニーチェやフッサールを持ち出していましたが、よくわからず議論していたと思います。

★そんなときに、結局ヘルマン・ヘッセが私の核になりました。中学の教科書に載っていた「少年の日の思い出」はまったく興味がなかった(今はむしろ大事ですね)のですが、高校から別の作品を読んでいったときは、孤独と自主独立と規格外の精神異常のペルソナに変貌するキャラクターが現われる幾つかの作品にのめりこみました。

★ヘッセ自身フロイトやユングも読みその心理システムを埋め込んでいる作品はおもしろかったし、そこから精神分析を学び、修道会ベースの小説が多かったので、ヘッセも引用しているトマス・アクイナスなどから神学・哲学に興味が湧いていったのだと思います。

★ヘッセが庭園も大切にしていたのも興味深ったですね。ただ、ヘッセは日本文化にはあまり興味がなかったのかもしれません。それゆえ、逆に私は日本の庭園に引き付けられました。そこから建築家の庭園づくりに魅了されていきます。イサム・ノグチには一時期のめりこみました。わりと世界のイサム・ノグチの庭を見て回ったと思います。

★レッチワースにもいき、田園都市構想という都市と教育と環境について議論して、建築家とセミナーを企画したこともありました。学校建築についてもリサーチしていた時期がありました。近江のヴォーリーズツアーはよき思い出です。

★結構、こう考えると高校時代の経験というのは、物理的な時間を過ごしてきたのではなく、時そのものを形づくってきたのかもしれません。ハイデガーが「時熟」というのはこんな感じでしょうか。プロジェクトという自己投機が時を生成していくという感じでしょうか。

★ヘッセの言葉の中に次のような書簡抜粋が載っています。

 わたしたちのこの手に包まれている一つの希望とは何か。自分自身を今日いくらかでも変えることだ。 昨日までよりも善く変えていくことだ。本当にそのことを実践する人々 にこそ、世界の幸福はかかっている。 書簡 1950

     ヘルマン・ヘッセ. 超訳 ヘッセの言葉 (Kindle の位置No.340-343). . Kindle 版.

★今、ヘッセの「アッシジのフランチェスコ」を読んでいますが、いつか生徒とフランチェスコが今も生成し続ける時を共有し、生徒自身が時を創っているということに気づける契機をもてたならなあと思っています。

★そして、その自分の創った時が、仲間のそれぞれの時と化学反応を生み出し、時代を創っていくのだと確信しています。

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GLICC Weekly EDU(29) 富士見丘の佐藤副教頭 数々の目覚ましい成果の連鎖を語る。

★昨夜9日金曜日、GLICC代表は番組<GLICC Weekly EDU 第25回「グローバル教育の拠点 富士見丘中学高等学校 佐藤一成副教頭先生との対話」>を配信しました。富士見丘は、海外大学進学実績、国内大学進学実績において目覚ましい成果を収めています。しかしながら、中3で英検準2級70%の生徒が取得するとか、数々の国際的な探究コンクールで優秀賞を受賞したり、強豪テニス部をはじめとする部活でも成果をあげています。

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★詳しくは、Youtubeをぜひご覧いただきたいと思いますが、とにかく破格で豊かなグローバル教育が確立していることを強調しておきたいと思います。

★「破格で豊か」とは、英検準1級を取得する生徒が年々増えているという結果ベースの話だけではありません。海外の大学や高校とのネットワーク、慶応や上智大学、武蔵野美術大学など大学との連携探究学習など豊かな学びのネットワークが結びつけられているということです。

★しかし、そのベースは、考えること、エッセイライティング(日本語であれ英語であれ)、共同編集作業、アート活動などなどPBLの土台があるということでしょう。

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★どうしてそうなったのか。それはSGHやWWLなどの拠点校として、富士見丘の教育を全国の学校とシェアして21世紀型教育を布教しようという覚悟と気概を理事長吉田先生のもとで教職員が皆抱いているからでしょう。

★そして、そのネットワークに富士見丘はNew Power Schoolの息吹を流し込んでいるのです。

★ですから、富士見丘の教育が豊かになればなるほど、その泉から日本全体に良質の教育の命が豊かに伝わっていくのです。

★今年から、私学人の仲間に入れて頂いた私としては、その息吹に学んでいきたいと思います。佐藤先生、ご教示ありがとうございました。

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非属の才能教育(09)エディンバラ公フィリップ殿下の意味

★昨日9日、エディンバラ公フィリップ殿下が亡くなられたとネットニュースで報道されました。99歳だったということです。数奇の運命をたどった方ですから、今後様々なところで殿下の物語は語られるでしょう。エディンバラ公システムの歴史的な経緯はよくわかりませんが、ある意味王家の名称に相当するものです。ですから、フィリップ殿下の前のエディンバラ公がいるわけです。また、今後の新エディンバラ公の話題も世の注目を浴びるでしょう。

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★私にとっては、フィリップ殿下と前エディンバラ公は、フリーダムコミュニタリアンであるクルト・ハーンに導いてくれる光です。というのも、クルト・ハーンは、その前エディンバラ公の交渉によって、ナチスドイツからイギリスに亡命できたのです。そして、スコットランドにゴードンストウン校という革新的なパブリックスクールを創設するようになるわけです。

★これが世界の私立学校が加盟する魂のエリート集団であるラウンドスクエアの一号店です。クルト・ハーンはラウンドスクエアだけではなく、国際バカロレア(IB)の創設にも力をいれました。その一号店がイギリスのウェルーズにあるアトランティック・カレッジです。これもクルト・ハーンが創設にかかわっています。

★アトランティック・カレッジには30年前に訪れて圧倒されて帰ってきました。世界にはこんな魂のエリート学校がたくさんあるのだと。日本はどうだろう。学歴エリート校はたくさんあるけれど魂のエリート校はまだまだだなと。それ以来偏差値から解放された魂のエリート校を探しました。その想いで集まった学校と共に21世紀型教育機構の創設に尽力もしました。

★いわゆる偏差値が低くても魂のエリートはありえます。それは内村鑑三も提唱しています。最近では武漢の作家ファンファンも語っています。魂のエリートとは、弱者に接する態度が違うのです。弱者を救うということではありません。弱者は実はそのかけがえのない存在価値の光を放てば、もはや世を救う光となります。希望となります。弱者だと思われている人と共同してその光を放つのです。

★弱い人こそ強いのだというパラドキシカルな表現をするのが魂のエリートたちです。その魂のエリートのプロトタイプは使徒たちです。勤務校もその使途の1人の名称を冠に掲げています。

★ラウンドスクエアやアトランティック・カレッジのような学校にはなれません。世界の王家やグローバル企業の寄付でできている学校です。とてもその真似は現状ではできません。しかし、魂のエリートを育成する内面的環境は創ることができます。

★日本の文化は、コンパクトです。正岡子規の詩作の出発空間も極めて狭いですし、コルビジェの終の棲家も茶室くらいのサイズだと聞いています。茶室という狭い空間に宇宙を見出す、岡倉天心だと虚空というわけですが、小さい中に無限を見出す境地、時間なら瞬間に永遠を見出す境地。そんな内的世界の∞を感じる魂のエリートが育つ学校にしたいと。

★フィリップ殿下は、クルト・ハーンが校長時代にゴードンストウン校で過ごしました。全寮制の学校です。このとき殿下の家族の悲報が届きます。ハーンがそのことを殿下に伝えたということですが、どう伝えたのでしょう。殿下があらゆる悲しみの中で孤独であっても自主独立の自由の精神を打ち立てた教育がそこにはあったのでしょう。

★そのあらゆる悲しみは、殿下にとっては極限の体験だったでしょう。ハーン自身、ナチスと闘った極限の体験をし、極限の体験教育をゴードンストウン校とアトランティックカレッジで立ち上げたのです。極限の体験から得る気づきは、究極の問いを投げかけてくるからです。その究極の問いを引き受けるのが魂のエリートです。

★今の日本で、勤務校で、そのような体験をするのはなかなか難しいわけです。ですから、茶室的発想で、世界の痛みを感じる新しいコンパクトな体験を生み出す授業を考えたいと思います。

★そのヒントになったのが、冒険家であり文化人類学的な写真家である石川直樹さんの発想です。著書「いま生きているという冒険」のマインドを大切にしたいと思っています。

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2021年4月 9日 (金)

非属の才能教育(08)men for others 再生の時代 フランス国立行政院ENA廃止?

★日本経済新聞「マクロン氏、仏エリート養成校ENAを廃止 22年にも(2021年4月9日 5:57)」によると、「フランスのマクロン大統領は8日、仏エリート養成校の最高峰である国立行政学院(ENA)を廃止すると発表した。一握りの秀才が国を動かしているとの批判をかわすため、2019年に方針を発表していた。代わりにより開かれた養成校「公共サービス機関」をつくるという。仏メディアによると、廃止は22年。」

★もちろん、同紙は次の指摘も忘れません。「22年に次回大統領選があるが、新型コロナウイルス対応への批判などからマクロン氏の支持率は低迷している。ENA廃止は一般国民に近い大統領とアピールするためとの見方がある。」

★たしかに、そいう見方もあるでしょう。しかし、山口昌子さん(産經新聞前パリ支局長)が「ふらんす」白水社で「中央集権国家フランスの権力の象徴「ENA」の運命」2019.05.29で語っているように、ENAの当初の理念が喪失されつつあるのも事実でしょう。

<「権力の苗場」とも呼ばれるENAは、中央集権国家フランスの権力の象徴だ。出身者「エナルクÉnarque」は政財官界のトップとしてフランスを牛耳ってきた。ドゴールは、第二次世界大戦でフランスがあっけなく敗退しナチの占領を許したのは、エリートたる高級官僚にフランス共和国の理念「自由、平等、博愛」を死守する気概がなく、保身や省庁の利益を優先し、理念とは正反対のヒトラーの全体主義、人種差別、反人道主義に屈したからだと分析。官僚の社会的階級からの独立、政治からの独立などを規定した。ENAを踏み台にして政界・財界への転身を図るなど、もってのほかだった。ENA設立の政令に署名したのはモーリス・トレーズ公共相(共産党書記長)だ。親代々の炭鉱労働者階級だ。この1点だけでも、創立の精神が現在のENAとは正反対だったことがわかる。>

★日本は2022年から18歳成人がいよいよ誕生します。政権の人気取りで何であれ、未熟な民主主主義を本当の意味での民主主義を生み出す市民として育つためには、ENAのような学歴階級社会をつくるような機能は、進路選択の向こうにあってはならない。いまここで、そして未来にあるのは、NYの国連のギャラリーにも刻まれているmen for othersのよりどころである黄金律が貫徹する必要があるでしょう。

★マタイの福音に記述されている黄金律について、国連は、宗教や民族、人種、性別など超えて共通のルールだというのです。

★マクロン大統領のように決断するリーダーが、日本にもいるとよいのですが、かりにいなかったとしても、私たちは教育の中でその精神の社会的実装に取り組んでいきます。

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非属の才能教育(07)カウンセラーとオープン・ダイアローグ

★勤務校のカウンセラーの先生と対話することの重要性を実感しています。カウンセリングの部屋の扉をたたき、私の言動について自分の不安を素直に話していくと特にアドバイスとかは直接ないのですが、気づきが生まれて来ます。

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★私の不安は、私だけのものではなく、関係の中から生まれてくるわけですから、見過ごさず受け入れていくことがまずは大切だと感じています。勤務校の人間関係は良好です。とはいえ、教師も生徒も新しいメンバーを受け入れるにあたり、期待と不安は表裏一体であるのが当たり前です。

★不安は時間が解決する過程で起こる互いの感じ方・考え方・動き方などの微差異から生じるのでしょうから、見守ったり受け入れたりすることでたいていは大丈夫なはずなのですが、微差異かどうかは、人によって違うので、微差異だと思い込むのは危険です。

★それで、カウンセリングしてもらいながらモニタリングしてもらえるのはありがたいわけです。

★世の中には、いろいろな研修があるのですが、継続性や一貫性、持続可能性を考えれば、組織の内省的/内製的マスタリー研修が必要だと改めて確信しました。

★カウンセラーの先生とも相談しながら、いっしょにオープン・ダイアローグ的なワークショップをみんなで創っていく共同作業がいいのかもしれません。

★オリエンテーションのプログラムデザインも先生方が動きながら感じ・考え・創造し行動しています。レクチャーとワークショップを教師とファシリテーターのマルチロールプレイをしながら遂行していくようです。オープン・ダイアローグを作ろうとするときのカウンセラーの立ち位置に、オリエンテーションでは教頭が対話をしています。

★世の中は、教師ではなく、ファシリテーターやコーチだとかよくいわれますが、そういう点のデフォルメ的な言説はどうも違うなあと。マルチロールプレイやモードチェンジ、あるいはトポロジー的な発想が本当のところだと最近は捉え返しています。

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非属の才能教育(06)モードチェンジと関係

★高校時代の体験が、卒業後の人生の足場だったり、あるいは泉だったり、原点だったり、心の居場所だったり、創造の瞬間の記憶だったり、それぞれだとは思います。いずれにしても、将来振り返ったとき、そこから成長した自分がいるのは、高校時代のなんらかの経験が生きていると思い起こすことができればよいと思っています。

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★それからもう一つ、卒業して大学や社会に出たとき、幾つもの難題にぶつかり、難局に直面したとき、そのときにこそ乗り越える知恵を発揮できるようにトレーニングができていればと思います。そのトレーニングは、ツールとロールとルールを自在に使いこなす心身知の内的システム循環です。

★これをどういったらよいのか。心身知の内的システムは、環境の中で化学反応を起こすようにしてできあがっていきます。配線をつなぐようにしていくわけではありません。

★対話はつなぐように指示することではなく、化学反応が自発的に起こる条件設定を共にしていくことだろうと最近つくづく思うわけです。

★動きながら感じ・考え・創造し、行動していく環境を生み出す対話。以下にしたら可能か。これまた修行です。

★数学の先生と話していて、設定の仕方だなあと。心身知の関数関係が内的に構成されるようになるには、心身知が変化の中でモードチェンジをしていくことによってだと。

★麻布の平校長がモードチェンジの話をされたのは、そういうことだったのかと気づきました。そういえば、平校長も、もともと数学教師です。

★勤務校の場合、教師も生徒もどのようなモードチェンジを自然に組み合わせて活動しているのか観察し分析してみました。すると、PモードとRモードとFモードをその都度時間と空間と人間の「間」の重なり具合に応じて、モードチェンジをしながら感じ・考え・創造し・行動しているのが了解できました。

★その3つのモードが何かは、いずれ話しますが、この具体的な実存モードの経験が、ツールとロールとルールを自在に使いこなす心身知の内的システム循環を化学変化によって生成されるのだと思うようになりました。

★経験もなんでもすればよいというわけではありません。実存モードチェンジができる経験を設定するということですね。建築家や心理学者なら実存モードという経験のデザインがアフォードするというでしょうか。経済学者ならそのデザインがナッジするというでしょうか。

★しかし、実存モードの経験の設定のとき、教師の見守る情熱とユーモアとやさしさのこもった眼差しが注がれていることが大切です。この眼差しがあるとき実存モードの経験に魂が吹き込まれます。

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2021年4月 8日 (木)

非属の才能教育(05)賜物と対話

★昨日、勤務校の入学式が無事終わりました。入学式が終われば、対面式、始業式、オリエンテーション、英語の合宿、同時並行で授業、部活と立て続けに進むのが学校です。そのバックヤードで、すさまじい先生方の動きながら考え対話し感じながらプロジェクトが発動しています。しかし、すべては生徒を思う情熱と愛情と引き受ける覚悟がコアになっています。

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★式辞をつくるのに表現が生徒の心につながるのかこんなに考えたことはありません。実際に語ってみて、どうだったかはわかりません。私にとっては、修業時代に突入です。

★ただ言えることは、一発勝負ではないということです。賜物と対話をトピックに語りました。もちろん、賜物は1人ひとりのかえがえのない存在価値のことで、1人ひとりちがうのだから、それを大切にするために対話を重視しているということなのですが、それを共有できるのか。言い放つだけは、無責任だということです。

★先生方のバックヤードでのすさまじい対話のプロセスと授業や教育活動の対話のプロセスと生徒の対話のプロセスが重なるようにあるいはつながるようにこれから1年が過ぎていくのですが、そのたびに、リマインダーのように言い続けることが大切だと感じました。

★私の中に、ストーリーがラフにしかできていないということに気づき、大急ぎで紡ぎ始めています。しかし、それは日々の対話というつながりがないと細部まで描けません。

★動きながらの共同編集です。学校という存在はやはり秘宝の塊です。しられざる宝があります。もちろん、それぞれの賜物という宝物です。それを見出す冒険物語が学校の生活かもしれません。

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2021年4月 7日 (水)

非属の才能教育(04)Hermeneutik 3つのfer

★4月4日、復活祭がありました。クリスマスやハロウィンは多くの人が知っているでしょうが、復活祭はそれに比べてあまり知られていないかもしれません。イースターと言えば、わかるかもしれませんね。すべてキリスト教の行事です。しかし、これは、キリスト教を布教するための行事であって、根源的には、イエス・キリストの道行です。人間の痛みをすべて背負い死をもって復活するプロセスを弟子たちと共にし、弟子たちは背負いきれずに裏切ったり離脱しようとしたり、また戻ってきたりととても人間的であり霊的でもある根源的プロジェクトです。

★この根源的プロジェクトがプレイフルになると行事になり、布教活動はマーケティング活動になります。アメリカの社会は経済と宗教が結びつきていて、マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムと経済がくっついたという理論を現実化したような国です。

★もちろんこの布教活動のもう一方には、あのスペイン艦隊がありますから、軍事力もくっついています。

★キリストの愛は、こじれると軍事力がでてくるし、命を守ろうとして戦争をしながらあるいは利用したりしながら経済が生まれてきたわけです。イエスの正当な弟子たちと裏切り者と活用組などと多様な分派が世界をつくる歴史が2000年以上あったわけです。もちろん、西洋近代化の話で、そうでない国もあり、そこの台頭がこれまた問題として浮上してくるわけです。

★聖書は信仰の書であり愛のドラマのメタファーです。恐ろしいぐらいネガティブな話もいっぱい出てきます。しかし、それをクリアする話であって、ネガティブなままではないのですが、そのプロセスの中で戸惑い恐れ不安になり、救われないまま終わることが世の中にはいっぱいあります。

★つまり、ドラマのプロトタイプの決定的な1つはやはりキリストの生き方です。またマーケティングやキリストと弟子たちから始まる組織論も組織開発の決定的なプロトタイプの1つです。弁証法やU理論の原型は聖書です。

★まさかと思うかもしれませんが、ギリシア神話をプロトタイプにつかった心理学者もいたわけです。聖書も神話の1つとしてみなす人もいるでしょう。そうするとそういうことがおこるわけです。

★かくして、聖書解釈学であるHermeneutikは現実の中で様々なものへtransferされていきます。referでとどめることができずinferによって、人間的な推理の翼を使って。

★しかしながら、知られざるキリストの解釈Hermeneutikなど、正解がまさにないわけです。エッ?!そうわかりましたね。正解がない問題が日本の教育で人気がないのは、この伝統的なHermeneutikのプロジェクトを知らないからです。ハイデガーやガダマーは現代社会でもでてくるかもしれませんが、彼らの背景にヘルメノイティクがあることは書かれていないでしょう。

★でも、クリスマスは知っているし、ハロウィンは知っている。キリスト教の宣伝力はすさまじかったわけです。そして、キリスト教のさらなる流れは、NPOと教育も生んでいるのです。ここらへ、いまはめちゃくちゃはしょっています。ごめんなさい。

★ともあれ、キリスト教は、軍事力ー経済力ー精神力(奉仕と教育)を生んでいるわけです。

★21世紀のキリスト教学校の使命は、この悪循環を断ち切り、奉仕と教育をベースに経済を考え、平和力を創ることなのです。

★また、本間は大げさなと言われるかもしれませんが、何もこれは私が言っているわけではないのです。ただ、日本の多くの学校は、そのことを知らないということです。

★しかし、一方でPBLは広がってきました。デューイの思うツボです。デユーイは、もちろんヘルメノイティークをクリティークしてプラグマティズムにトランスファーするわけですが、それは根源的PBLを求めるためだったのでしょう。

★この点に関しては、文部科学省は論じることができません。宗教は教育に持ち出せないからです。憲法でそうなっているわけです。

★よって、それは私学で背負わなければなりませんが、さてはて、どうしようということですね。グローバルという局面は、しかし、ここを見極めるクリティカルヘルメノイティークが必要かもしれません。

★ヘルメノイティークは、refer-infer-transeferの循環によって可能になります。もちろん、conferやdifferという言語と差異は、先の3つferを結ぶ媒介態です。

★高校生には、こんなわけのわけのわからない話はしませんが、すでに3つferは英語の4技能の中でよく使わエる学びのプロセスです。conferは、今やあらゆるセミナーやワークショップで活躍しているでしょう。differはあらゆる言語活動、探究活動のモメンタムです。

★まずは、「うさぎあひる」のあの図から始めることにしましょう(笑)。

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2021年4月 6日 (火)

非属の才能教育(03)伊達公子さんに学ぶコト 才能と普遍性

★かえつ有明のAjiki先生がシェアしていた記事を読みました。ありがとうございます。それは、Sports Graphic Number2021/04/05の <留学も英才教育もなし…それでも“世界4位になった”伊達公子に聞く「部活から世界に羽ばたくことは可能ですか?>」です。

★伊達さんのパイオニア的なテニス界へのデビュー。海外などエリート教育をうけたわけでなはく、同記事では「純国産選手」という表現を使っていました。規格外の世界で活躍できたトッププレイヤーは、いかにして生まれたのか?同記事はそうこに焦点を合わせています。詳しくはお読みください。

★その中で、私がなるほどと思ったのは、誰もがトッププレイヤーになることはできないけれど、それでも、その可能性に立ち臨むのはよい。とはいえ、高校時代は4Cを身に着ける普遍的な勉強もした方がよいのだというくだりです。そして、次の言葉は、極めて現実的でキャリアデザインを考えるうえで、とても参考になります。

 「テニス選手のキャリアは他の職業に比べて短く、その後の方が長い。高校時代は伸びる時期なので、テニスに費やしたいと思うのは当然です。ただ、テニス選手に求められるスキルはたくさんあるなかで、学校の勉強がコートの中にも還元される。学ぶ時間は確保する方がいいと思います」

★4Cは、私たちはPBLの中で大切にしている能力ですから、ちょっと驚きました。この能力について、同記事では次のように記述されています。

 <「教育のなかで大切な『4つのC』があるというのが、私に響いたんです」と伊達は言う。「4C教育」は、米国の教育省がアップル社、マイクロソフト社、その他20の機関および教育専門家たちと連携して提唱したロジック。

 その「4つのC」とは、Creativity(創造性)、Critical thinking(論理的/客観的思考)、Communication(意思疎通)、そしてCollaboration(協力・協調)だ。

「創造することと、自分のアイディアを伝えていくことがコートの中では必要だし、それを判断していく力も大切。どれ一つをとっても、テニスにおいても必要な要素だと思ったので、ジュニアと接するときには、同時にこれらの要素も育てていかなくてはいけないと思いました。かっこいいフォームで打つだけでない部分の大切さを、ジュニアの時から育てていかなくてはと思ったんです」

★プレイというのは、創造的だし、自分のアイデアを伝えていくことなのだというのは目からウロコでした。最近保健体育科の重要性をますます感じているだけに、同記事に勇気づけられました。Ajiki先生ありがとうございます。

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2021年4月 4日 (日)

非属の才能教育(02)西尾慧吾さんに学ぶコト イエール大学の智慧

イエール大学で哲学・人類学を学んでいる西尾慧吾さんの記事<「沖縄の基地問題は、私たち全員の問題だ」イェール大学に通う日本人学生の訴え
~遺骨を含む土地を基地建設に流用か PRESIDENT Online2021/04/04 11:00>から、日本の小中高生1200万人1人ひとりが学び、それぞれの才能を開花するきっかけにして欲しいと思いました。

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(写真はイエール大学サイトから)

★いったい何を学ぶのかというと、それは人によって違います。沖縄問題の痛みに共感し、なんとかしようと探究や活動をする生徒もでてくるでしょう。西尾さんが学生共同代表を務めている沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会に参加してみようと行動を起こす生徒もいるでしょう。

★あるいは、沖縄問題以外の世界の痛みに取り組む際に西尾さんの考え方や感じ方、構想力、行動力を参考にする生徒もいるでしょう。

★学校の教師ならば、たとえば聖学院のように沖縄探究学習を行っている場合、工学院のようにグローバルプロジェクト(幾つかの地域を選択でき、その中に沖縄プロジェクトもある)を行っている場合、上記のすべてのアプローチを生徒と共に学んでいけるでしょう。

★私の勤務校では、沖縄探究学習はしていないので、探究で、西尾さんの構想力・洞察力・行動力・寛容性・コミュニティシップなどについてそのコンパッショネイト・システム思考を生徒とモニタリングしながら学んでいくということになるでしょう。

★世界の痛みは、必ずしも遠くにあるのではなく、自分自身の中にある場合もあります。この問題意識を大事にするのに、偏差値は全く関係がありません。西尾さんのように灘で学び、イエール大学で学んでいなければできないということではありません。1200万人の生徒がみな共有できる探究の道です。

★ただ、その道はそれぞれに違う多様性があります。それが大事ですね。

★西尾さんと会ったことはありませんが、イエール大学の学生と会うチャンスは毎年のように八雲学園で頂いてきました。八雲学園の生徒の皆さんを通して、西尾さんーイエール大学ー八雲の生徒さんがシンクロしている響きを感じることができます。

★この響きを多くの小中高生が共振できるための探究。文科省がそれを直接は書くことはないですが、おそらく想定はしているでしょう。学習指導要領のもどかしさは、海外の教育については、暗黙知としてあるのでしょうが形式知として文言で示すことはないからです。

★ここらへんは、学習指導要領を丁寧に読み込み、解説動画を最大手の教育関連企業から配信している神崎史彦先生に今度教えていただこうと思います。宜しくお願い致します。カンザキジュクのスタジオではやく対話したいですね。

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